A diary 8/27その③

ヤフーニュースで日銀総裁の植田さんの発言についての記事を読みました。

 

26日、米西部で行われた経済シンポジウムでパネルディスカッションに植田総裁が参加。米中対立で、経済的な断絶が起こり悪影響があることを懸念し、先行き不透明で金融政策の運営が困難になっていることを発言した、とのことです。

 

なるほど、金融政策決定のための分析&予測の前提条件として、例えばもし中国が大きく景気が落ち込むことがあれば、正確な予測ができないということは植田さんはわかっているようです。

 

つまり、そもそも、金融政策でどうにかできることって、河原でパシャパシャ水遊びすることくらいしかできないと、おそらくわかっているでしょう。

 

それでもなお、今の目標である物価上昇率2%?を達成しようとするのは、植田さんが正直に言うと、「無理」でしょう。制御する能力は人間には無い。運が良ければ他力でたまたま達成できるかもしれませんが。

 

私が不思議に思うのは

 

【シナリオA】

無理なことをやると言って、国民に疑似安心を与えて、政治的安定を保つ

→無理なのでできない

→批判を受けて、責任を取って、政治的に失脚

 

というシナリオが、私目線ではそんなにベターだと思いません。はっきり言って、これは茶番でしょう。本来できることを、下手打って失敗したならリアル劇ですが、最初からできないことをやると言ってできないのは意味不明です。

 

【シナリオB】

無理なことはやらないで、国民の不安を放置して、民間の規制緩和する

→政府はやらないから民間ががんばる

→政府への批判が強まり、政府はそれをがんばって押さえ込む

 

というシナリオがいいんじゃないかと思いますね。

 

これでいくと、政治は不安定になるんですが、「できないことはできない」し、仕方ないです。

 

なんかトラブルがあったら、不安定になる、のはしょうがないでしょう。それを押さえ込むのが、「不安定→安定」の作用を生むのが、政治家の腕の見せ所でしょう。

 

不安定と対峙できない、とか対峙するつもりがない、というのなら、それはちょっと登校拒否の子供みたいで、ケアが必要な対象になってしまいますね。

 

今、政治的に高い位置にいる人達はおそらく優秀なトップランナーでしょうけど、

 

「恐怖や不安から逃げるように走ってきたのか」

「積極的にやる気を持って走ってきたのか」

 

という最初の1歩の踏み出し方の差が、人によって出てくる場面だろうな、と思います。