戸塚さん

YOUTUBEのAbema切り抜きで、戸塚ヨットスクールの首領である戸塚さんという方が出演されていました。

 

なんかスクールに入ってきた不良少年とかを暴力で躾けて、過去には死亡事故も起こしているような、一般的には「やばい人」のようです。

 

ただ、このおじいちゃん面白いな、と思いました。

 

ちゃんと自分の頭で意見を言ってますからね。レアです。

 

議論のテーマは「権利と自由」についてで、

 

戸塚さん曰く、

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「権利」という言葉は、明治時代になって初めて渡来してきた言葉(right)であるが、

 

当時、日本には「right」に該当する概念がなく、訳に苦慮したという背景がある。

 

福沢諭吉(天才)は、「権利」という訳は、適切ではなく、「権理通義」と表現した。

 

つまり、「権利」を子供の時から与えていくと、自己の利権を抑制なく要求するようになり、権力構造がきしんでしまうことを戸塚さんは憂慮している。

 

子供や、大人でさえも、ほいほいと「権利」や「自由」を与えるべきではない。

 

「権利」や「自由」とは、勝ち取って得るものであり、一部の特権・上流階級の人間のみが有するものでなければいけない。

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なるほど、内容の可否はともかく、話の筋としては通ってますね。

 

ツイッターでこの動画を見たのですけど、コメント欄には「老害」とか「独裁者」、あとは、「言ってることは正論」という意見もチラホラありました。

 

まず、戸塚さんは、「老害」ってわけじゃなく、私は「なんか暴力志向の個人(現在、歳を取っている)」って感じに見えましたね。

 

つまり、この人はおそらく、若いときも今と同じような考えで生きていただろうと思うからです。文脈では「老人」というファクターは薄い。

 

この人は、私が最近注目してる「対面方式での勝負・競争」嗜好家なんだろうな、と思います。

 

「あなたを暴力で苦しめて、わたしが幸せになる」方法論の愛用家ということです。

 

そういう方法論は、常に「潰し合い」ですから、基本的にハードです。

 

だから、その潰し合いに勝った「権力者」は、「ご褒美が無いと」ゲームとして成立しない、ご褒美のあるゲームであって欲しい、そうじゃないと自分が救われないって感じなんだと思います。

 

だからこそ、「権利」や「自由」は、権力者のみが有するボーナスであって、

 

「潰し合い」に負けてる平民なんかに、配布するようなもんじゃない。

→勝っていない者(子供や負けてる大人)は、「黙っていろ」

 

偽物のリベラルが、「権利」や「自由」を安売りしようとしているが、

 

それがまかり通ったら、「自分の努力や苦しみが、『無駄・愚行』になってしまうではないか」

 

って感じなんでしょう。

 

これは、おそらくフェアな意見ですね。普通の人間なら、共感できると思います。

 

普通の人間が戸塚さんに共感できない点は、やはり、

 

「世の中潰し合いゲームだ」という前提を持っている点ですね。

 

その暴力的な手段でしか幸せになれないんだ、という思い込み。

 

この前提が不一致だから、「戸塚のおじいちゃんは危険思考の老害だ」ってことになってしまう。

 

ただ、私の解釈では、前に述べたように、「前提が一致していないだけで、そのロジックは普通の人間でも理解できる」ような意見だと思います。

 

理想を言えば、「方法論縛り」のゲームにのめり込みすぎないで、

 

「今の状況を正確に把握して」

「バランス感覚を持って」

「複数の方法論(カード)を引き出しから出し入れして」

「行動する」

 

っていうのが、ハエスタイルの私目線での理想ですけど、

 

みんながみんなハエじゃないので、

 

「方法論縛り」で「ずっと同じ事を繰り返したい」という制限(願い)を持っている人も、いるだろうな、

 

その人は、そんな臨機応変に動けない(変化できない)だろうな、と思います。

 

要は、「みんな幸せになりたい」っていうのは一致してると思うので、

 

戸塚さんを後ろ足で蹴って排除する、っていうのではなく、

 

「あなたもひとりの人間なんだよね」ってとこから始まって、

 

じゃあ、どうやって方法論の濃淡をデザインして制御していこうか?

 

その最適解を一緒に模索していきましょう。

 

っていうやさしい世界が私は好きです。

 

やさしい世界ていうか、「あんまり一部エリアの内輪もめ」で、消耗してほしくないなっていうのが本音です。

 

もっと効率的にやるようにすれば、確実に全体にとってベネフィットになります。

 

効率化によるベネフィットって目に見えにくいですけど、

 

世界をシステムと見る解釈においては、かなり急所ですよ。

 

コミュニケーションのすれちがいでイライラを募らせるのは避けて、

 

みんなの幸せ追求の効率化を研ぎ澄ませる(一部の人間の嗜好に合わせる、ではない)っていうのを

 

もっと楽しく、できたらいいなと思います。

 

おわり