A diary12/7

現在23時。実は、私は昨晩、午前1時に寝て、17時まで16時間寝ていました。

 

つまり、寝たいけど「目が冴えて寝れない」のです。困った。

 

ということで日記を書いています。

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ツイッターを眺めていたら、興味深いツイートを目にしました。

 

「若いときはピンと来ていなかったことだが、大人になるとストレスの元が『決めること』である場合が多いので、誰かが決めてくれると新種の感謝の気持ちが湧くようになる」

 

という趣旨のツイートでした。

 

私は、「えっそうなの?私は絶対『自分で決められる自由』があった方が嬉しいけどなぁ」と思いました。

 

こういう自分と違う意見でも、そのように在るのみなので、「そうなのか~」と尊重して受け入れようと思います。

 

大人ということは、つまり、「受け身の観客になる」ということのようです。

 

ディズニーランドのアトラクションのゴンドラに乗って、楽しいショーや、あるいは悪夢を見る(見せられる)観客になる、それが大人・・・?

 

そういう意味では、私は大人じゃないようです。私も観客気分になることはありますが、自分で能動的に何かを考えたり判断したりすることが好きだからです。

 

一般的な大人の人とは、私は精神構造が違うようです。

 

ここで疑問なのですが、「大人になると、全く判断しないの?」ということです。

 

「誰かが決めてくれると感謝の気持ちを抱く」

 

それって本当?

 

例えば、「あなたの朝ご飯は、毎日、ベーコンエッグトーストね」と他者から決められたら

 

「決めてくれてありがとう」と思うのでしょうか?

 

「お前の朝ご飯は、このカビパンな」

 

それでも「決めてくれてありがとう」なのでしょうか?

 

かなり意地悪なことを言っているかもしれませんが、「決めることがストレスで、決めてくれると感謝する」ってことは、そういうことなのかな?と純粋に疑問です。

 

なにしろ、私は大人ではなく、大人とは何なのかを計り知ることができないですから。

 

「今からシャワー浴びるかどうか」を決めることも、ストレスなんでしょうか。

 

夏の外に出て汗だくになった日に、誰かから「今日はシャワー浴びるな」と決められて、「ありがとう」と思うのでしょうか?

 

そうだとしたら大人って変わってるなぁと思います。自由があった方が幸せに決まっているからです。

 

つまり「決めることがストレス」というのは「自分が決めたことによる結果責任を負わされる」「なんのメリットもない、ただの重しを背負わされる」ことがストレスってことですよね、たぶん。

 

その一方で、「自分の幸せ追求に関する判断は自由にやりたい」という考えも持っている?

 

おお、大人って、ずいぶん都合がいいなぁと思います。

 

それが「汚い」かどうかの印象論はどうでもいいのでさておき、

 

「そのやり方で」「大丈夫だと思っている」精神構造に興味がありますね。

 

おそらく「大丈夫じゃないかもしれないけど、強制的にそうなっているから従わざるを得ない」という悲哀を含んでいるのが大人なんだ、と解釈しました。

 

まぁ結論から言えば、(本人にとっても他者にとっても)大丈夫じゃないんですけど。

 

「自分は大人だから」「私は観客ね!」「何も決めたくない!」

 

とか、単純に解釈するのではなくて

 

「観客である自分」「必要な責任を負う自分」それぞれ異なる層(レイヤー)が重なっているのが人間である、

 

というありのままの捉え方をした方が大丈夫だと思います。

 

単純だったら、楽ですけどね。

 

要するに、楽しなきゃやってられない状態だ、ということなんでしょう。

 

ツイートした人は、けっこう辛い状況だってことですね。