A diary 8/24その②

私は甲子園野球で、神奈川県代表の慶應高校を応援していました。

 

県予選決勝で、横浜高校との試合をすべて生で見ていたのですが、すさまじい逆転劇で、慶應は「運を味方に付けたな」「横浜高校に負けてもおかしくなかった」と思っていました。

 

で、甲子園での本大会を見ていたら、投打が常に安定していて、順調に決勝まで行ってしまった。ここで、私は慶應はラッキーだけじゃなくて実力もあるんだ、と思い直しました。

 

決勝では、またしても運も味方につけて、中盤に5得点で大きく引き離す展開となりました。

 

ラッキーもありましたが、さすがに運だけでは優勝はできないので、やっぱり慶應は最初から強かったんだな、と思いました。応援していた学校が優勝できて嬉しかったです。

 

一方、SNSの反応は、「慶應の応援が大きすぎたり、マナーが悪かった」とかブーイングの声があり、なかなか根性の曲がった人が多いんだな、と思いました。

 

確かに、私が途中から試合を見始めたとき、応援の圧がものすごく、テレビ越しでもそれをビリビリ感じていて、ちょっと異様な雰囲気でした。

 

でもそれは「めっちゃたくさん応援してる」という結果であって、応援している人を責めるほどのことじゃないと思います。

 

「みんなでブブゼラをブオー!と鳴らしまくった」とかの応援だったら、それはうるさいからやめようみたいな話になりますが、実際に応援に使われたのは生声です。

 

しかも、107年ぶりの優勝がかかっていて、相手の仙台育英は春に慶應に勝ってる優勝校、「優勝への期待」や「応援でなんとか勝たせてあげたい」気持ちが出るのはしょうがないと思います。

 

大声援の中、仙台育英の選手がお見合いで接触し、フライを落としたときは、明らかに選手が動揺していて、可哀想だなとは思いました。

 

せっかくの決勝戦なので、一観客としては、両校お互い、実力を出し切った試合を見たいという気持ちはあります。

 

ただ、慶應は応援に大勢が集まり、みんなで一生懸命応援した、その結果、仙台育英は動揺した、ということなので、ショーとしてはちょっと残念になりましたが、それはもう仕方ないな、と思いました。

 

何より、慶應の選手は、フェアプレイで真面目に試合をやりきって勝ったのですから、それに対して、「よくがんばったね、偉い!」と賞賛するのがまともな大人じゃないかと思います。

 

慶應は身内同士の結束が強く、それに反発する人もいるのですが、別に他人が強い結束をしたとしても、それに誰も影響される必要性はありません。

 

「あぁ、絆が強いのね」とフラットに対応すればいいだけで、慶應出身者が必死こいて結束しているからといって、それに付き合って「じゃあ私たちはNOT慶應側!」と認知しなくても大丈夫でしょう。

 

でも、社会において、慶應派閥が明らかに優遇されて、出世とか口利きとか不利な状況に置かれたことがある人は、「あいつらなにさ!」と思っても自然かもしれませんね。

 

私が言いたいのは、慶應に対してどう思おうと、「優勝校の選手ががんばったことを、大人は素直に賞賛しましょうよ」ということです。

 

慶應への批判は、別に甲子園球場の中じゃなくても、いつでもどこでもできるんですから。