国際政治学者さんたちの奮闘

ウクライナ戦争とか、イスラエルパレスチナ戦争とかで、国際政治学者さんの活躍の場(戦う土俵)が増えているようです。

 

私は「国際政治学」というジャンルが、どの範囲(内政?外交?戦争?)を扱っているのか知らないのですが、

 

彼らががんばると、多分、日本の政治家さんか、もしくは官僚の方へ、精度の高い「事実解釈」を可能にする情報提供になるのだと思っています。

 

なので、その能力を存分に発揮して、活躍されることを祈っています。

 

しかし、ツイッターを見やると、かなり名誉毀損レベルで、誹謗中傷をするグループがいたり、業務妨害(犯罪)をするケースがあり、

 

警察に相談して訴訟をしたり、余計な手間が起こっているようです。

 

被害に遭っている人は、SNS上では毅然に対応しているようですが、もし私が同じ立場で同じ目に遭ったら「ちょっと、やめてよ~」とか言いそうです。

 

そう言うと、自分の社会的な信用が落ちるかもしれないのですが、それが本心なので「ちょっと、やめてよ~」という反応になりますね。

 

あるいは、議論してみて、話が通じるようであれば、それを楽しんだり。

 

「人数が多すぎて、対応するのがめんどくなったから止めるわ」とか一方的に議論を打ち切ったりすると思います。

 

基本的に、嫌がらせというのは、嫌がらせたら完了なので、

 

「むーん・・・」と嫌な気持ちになるのは避けられないと思います。

 

「それでも、私は仕事をするのだ!」というハートがあるのならば、負けずにがんばるしかないですね。

 

世の中には、ちょっと気に入らなければ、自動車を役所に突っ込ませる人もいます。

 

こういう行動は、「普通じゃない」し「正しくないこと」ですが、

 

それが実際に起こっていること自体は、認めざるを得ません。

 

私はそういう人が出ない方がいいなぁと思うので、「そのようになるように」何かできたらいいな、と思っています。

 

まぁ、犯罪ゼロは多分不可能なので、程度問題ですね。

 

京都アニメーション放火事件のような、「悲惨な大事件」は、起こらないように何らかの対策を模索した方がいいと思います。

 

例えば「スクーターに乗ってカバンひったくり」みたいな犯罪でも、もちろん起こらないに越したことはないです。

 

「大きな犠牲はダメで、小さな犠牲はアリなのか?」

 

という問いには、「小さな犠牲もアリだとは思わないけど」

 

「犠牲を出さずに何かをする、命が存在することが不可能である」という事実があるかもしれないし、そう思うことがメジャーなようです。残念ながら。

 

せめてもの誠意としては、「もし私が犠牲となって(命を落として)も、それを受け入れよう」という諦観なのかな、と思います。