やっと今日、黄色チャート式の数学ⅠAを一通りインプット終わりました。
ゆっく~りゆっく~りやってきたけど、思えば遠くへ来たもんだ・・・高校数学の5合目まで辿り着きました。やったね。
元々、アルゴリズムの教科書を読んでみたら、最初の方にユークリッドの互除法が出てきて、「何だこれは?わからない!」となったので、数学を学ぼうと思ったのでした。
今となってはそれも学習済みなので、もし「割り算して商と余りを出すプログラム」を書く時も、方法としてはわかるようになったので嬉しいです。
数学ⅠAをやってみて、何か汎用的に使えそうなメソッドはあるかなーと振り返ってみると、あんまりそういうのは無い感じです。
あえて言うなら、対偶とか、背理法とかでしょうか。あと集合も使えるかもしれません。
私はよく「合理性」とかゆってますが、実際に使っているのは1次方程式くらいの単純なもんで、最終目的が複雑なものを実用可能な単純化する作業ですので、論理的思考としては金づちとのこぎりで家を建ててるようなものですね。
注目しているのは物や人や事象が持つ「作用」だけで、その作用の働き方を抽出して、論理を構成していく、という、はっきり言って陳腐なことを頭で計算しています。
この陳腐な方法論で、他の人と比べると、圧倒的なアドバンテージがあるという状況ですので、明らかに重要度の高いフロンティアなんですが、なんらかのマジックが働いていて、誰もここに突っ込んでいかない、という謎現象があります。
おそらくこのフロンティアは演劇に例えると「舞台裏」に該当する部分で、わかってしまえば「陳腐だなぁ」となるんですが、舞台裏を知らない観客にとっては「イリュージョン」に見えるのでしょう。
舞台裏から遠ざかり観客になる第一段階としては、基本的に魅力的なもの「幸福感の高揚、昂ぶり」みたいなもの、それがインセンティブとなって、そっちに行ってしまう場合があるのだと思います。
私は子供時代、「幸福感の高揚」とはかけはなれた被虐待ボコボコ状態でしたので、まずそのインセンティブに乗らなかったです。だって「幸福感」を知らないんですもの、行けるわけがないです。
これが幸か不幸か、舞台裏への誘いとなりました。
そして観客への第二の段階としては、共感能力ですね。共感能力があると、人間社会が安全だと思えるんですよね。みんな一緒だからです。
正確に言うと、自分が共感できる人たちが作る人間社会が、何か問題がある存在だと都合が悪い、そう思いたくない、だから正しいはずだ、という感情をベースにした砂上の楼閣の如き論理展開が起こります。
一方、私は生来、自閉症傾向があり、共感能力があまり高くありません。共感を知らないので、「人間社会が正しいはずだ、正しくないと困る」という発想がそもそも起こりえません。
これも幸か不幸か、ハイリスクな「社会への依存症」を回避することに繋がりました。
フロンティア・・・舞台裏の消去、「観客」の完成への誘いとしては、こんな感じでしょうか。
舞台裏を見るのも、人の成長過程の初期の段階で今述べた2つの障害があるし、じゃあ、幸福感を求めない、かつ、安心できる社会にも依存しない、という険しい道になるんですが、私の所感としては、それを歩めないなら、世界に殺されてもおかしくない、という判断でしたね。
幸福の方が都合がいい、嬉しい、社会の中で共感し合って生きる方が楽しい、安心だ、というのは人にとっては真実なのですが、じゃあ不幸だとあきらめるのか、安心がないと歩みを止めるのか、というと「否」ですね。
「その程度で退くくらいなら、最初から生きてねーよ」というちょっとロックな態度があると、世界と対峙できるようになり、社会の外の世界が見えやすくなると思います。
私はとりあえず数学ⅠAの学習を反復して、数学をコツコツ学ぶことにします。
残りの命を楽しくいこう~。