成田さんのツイートで気づいたんですが、
なんか、東大の文化祭みたいな催しに、成田さんがゲストとして呼ばれてて、
それに反対するアカウント「No成田 in東大」が生まれてるみたいです。
ほほう、表層的には、なんか「それっぽい運動」だな、と思って、興味本位でこのアカウントを見てみたのですが、
なんか事情が、というより、言ってることが複雑でした。
要点は
・「成田さんの意見が気に食わない」のではなく、「炎上していた成田さんを公式に呼んだ文化祭の実行委員会のやり方と政治的センスの無さが気に食わない」らしい
・「No成田 in 東大」アカウントを作成し、世間に向けて拡声している
・文化祭実行委員会への嫌がらせとして、成田さんの講演会場でボイコット運動みたいなキャンセル行動をしようとしているらしい
と言う感じで、ぱっと見、「やってることが謎だな」と思いました。
文化祭の実行委員会が気に入らないなら、担当者に直接言えば済む話じゃないでしょうか。
「東大の、在学生の、内輪もめ」ですよね。
その内輪もめを解決するための方法が、「No成田 in 東大」アカウントでの拡声っていうのは「んっ?」と思います。
なんで内輪もめ解決において、成田さんというクッションを挟まないといけないのでしょうか。
おそらくですけど、このアカウントの人は、
「東大を代表する文化祭実行委員会が、成田さんをゲストに呼ぶことによって、東大の看板に傷が付くと思っている(=実行委員会は政治的センス無し)」
「学生の一人である自分が、それに反対していることを表明することによって、東大の評判を落とさずに、実行委員会(一部の学生)が悪いという結論に世論を持って行きたい」
「そのため(東大には自分のようなまともな学生もいることを広く世に知らしめるため)に、『No成田 in 東大』アカウントを作って情報発信している」
ってとこだと思うんですよ。
やってることが、なんか、複雑なんですよね。率直に、「素直じゃない」。
「東大は、政治的に、日本の中で優位じゃなきゃだめなんだ」っていうのもあるし、
「成田さんのように自決を促す発言をするのは許せない」っていうのもあるし、
「世に広く拡声して、実行委員会に嫌がらせしたい」っていうのもあるんですよ。
それらを長崎ちゃんぽんのようにごちゃ混ぜにして、同時に解決を見る方法が、
「No成田 in 東大」アカウントでの発信、となっていて・・・
最終的にやってるアクションだけ見ると、めちゃくちゃ「目立ちたいだけの人の所業」なんですけど、
その背景に、いろんな想いやこだわりや都合が入っているという、
頭ん中が複雑なんだろうな、という感想を持ちます。
私としては、
「シンプルで一途な想いを、めちゃくちゃ考え抜いたアクションで実行していく」
っていうのが好きですね。
このアカウントの人は、逆なんですよね。
「めちゃくちゃ色んな複雑な想いをまとめて、シンプルなアクションで実行していく」
なんですよ。
どっちが良いんでしょうかね?これは初めて接する問いなので、興味深いです。
精神衛生上は、前者の私のような「シンプルな想い」の方が良いと思いますが、
元々想いが(脳回路が複雑であるが故に)複雑であるならば、後者かなぁと思います。
「複雑な想いを、めちゃくちゃ考え抜いたアクションで実行していく」っていうのが一番難しそうですね。
実は、考え抜いているのだろうか。
「No成田 in 東大」のアカウント名(アイコンは成田さんの眼鏡を採用している)を、ぱっと見た人は、
「あぁ、この人は成田さんに批判的なんだな」と思いますよ。
だから、リプ欄には、「東大生なら、成田さんと正々堂々討論せよ」というコメントがいっぱいでしたよ。
でも、アカウント主さんの主旨によると、ターゲットは成田さんじゃなく、文化祭実行委員会なんですよね。(だから討論はしない)
これって、考え抜いた誘導なのか、誘導ミスなのか、やってることがよくわからないんですよ。
「文化祭実行委員会を批判する有志 in 東大」アカウントの方がいいんじゃないでしょうか?
「成田さんのネームバリューを利用して注目を浴びたかった」?
その辺もよくわかりませんが、
アカウント主さんは色々、自己欺瞞がありそうで、精神衛生もあまり良くないんだろうな、
ご自愛ください、と言ってみます。
あんまり争うのは、おじさんとしてはやめてほしいな。
意味ある争いなら、やるべきですけどね。
おわり