よく、私のような「講釈述べ野郎」が、
「こうすべき!」と偉そうなことを言ったりすると「何を偉そうに」(そのままですね)と反発する人がいるんですけど、
「Aさん(私)がこう言ったから、
Bさん(自分)はムカついた」
という、AさんとBさんの間の関係性における取引として解を得ることが、とても多いと思うのです。
解=「Bさん(自分)は、Aさん(私)の態度のせいで、ムカついた」
→「私を不快にするAさんは敵だから、反発しよう」
こういう解釈は、人間関係では基本(2名以上の集団で閉じる世界)だと思うので、それはそれで良いと思います。
ただ、これだけでは、来る少子化時代では、対応不能になり、窮するのは目に見えているので、新たな「解釈方法」を、増築した方が良いと思います。
それは「2名以上の集団とは関係のない所で動いている外部要因がある」という解釈です。
「YOU&I」の世界+第三者的な要素=現実世界
という公式を飲んだら、複雑で厳しい状況にも対応できる可能性が高まる・・・
というか、これが飲めない(インストールしない)のであれば、大雑把な暴れ巨人にしかなれません。
大雑把な暴れ巨人は、確実に強く抑制されます。(強く抑制されても良いよ、というのならば「YOU&I」を貫いてもいいでしょう)
簡単な例で言うと、
例えば、「ある観光地の旅館に、隕石が飛んできて、建物が壊れて営業に支障が出た」
というシチュエーションで、
旅館の支配人が、いくら「従業員のせい」にして叱責しても、しょうもないのはわかるでしょう。
どんなに従業員が、素晴らしくて完璧に近い仕事をしていても、あるいは、やる気の無い仕事で旅館のホスピタリティを低下させていても、
「隕石が飛んできて旅館に衝突したこと」と、「支配人と従業員のYOU&Iの関係性」は、全然関係ないんですね。
支配人「いや、もしも従業員にもっと適確にパワハラしておけば、神様は隕石を当旅館にぶつけることはしなかっただろう」
とかいう考えもありえますが、これはかなりスピリチュアルで、そういう考えを持つ人がいてもいいと思いますが、
要は構成員のバランスで、マジョリティがスピリチュアルではやばいんですよ。
マジョリティが現実に対応し、一部のマイノリティが何かスピリチュアルな考えを持ってフワフワ生きてる、みたいな図は全然オッケーです。
で、目下の未来の現実としては、
少子化による人口減って、まず起こるんですよ。
結婚して、卵子と精子が受精して、子供が産まれるというケースしかありえないんですから、
少子化は必ず起こる、という現象は、スピリチュアル派でも納得できるでしょう。
で、少子化による経済の縮小とか、人手不足によって、
「YOU&I」の関係性とは全く関係ない、外部要因として、様々な弊害(隕石が落ちてくるような弊害)が、発生することは確定しています。
私はそれがわかっているし、おそらく多くの人もわかっていると思いますが、
「であるならば」「未来には、やっかいな外部要因への対応フェーズが来るな」
という確信ももてて、
こっからは私の好みが入る話ですが、
「じゃあ、未来にやるべきことがわかっているのであれば、前もって準備したりして、できるだけ丁寧に対応したいし、弊害を致命的なものにしないようにしたい」
という発想があるんですよ。
つまり、
「私の言う通りに従おうが、拒否しようが、無視しようが」
「外部要因はやってくるのが確定しているから」
「私とあなたとの関係性の話は、今はしていなくて」
「この話とは関係なくやってくる、外部要因に備えた方が良いと言っているのです」
ということを言いたいです。
私は、正直に言うと、「私の言う通りに従おうが、拒否されようが、無視されようが」どれでも良いですよ。別に、私の言う通りにしなきゃいけない義務はないですから。
最悪、随時状況を見ての判断になりますが、
日本とか、地球の生命が全部消えても、受け入れることは可能です。
ただ、「簡単に退くわけにはいかない」という事情もあるので、ひとりの日本人として、そのための有用な情報提供をしているのです。
で、キモは、ひとつの人格内で「スピリチュアルな面があってもいいけど」「外部要因への対応を全くしない」というのは、仕事放棄の投げやり自暴自棄になるので、
それやめましょうよ。衣食住がある程度確保できている状況であるならば、投げやりが普通であると思わないで欲しいという希望があります。これは私個人の希望です。
で、投げやりにならないための第一歩として私が提示しているのが、
先ほど挙げた公式・・・
「YOU&I」の世界+第三者的な要素=現実世界
これを、インストールしてみてください。(そもそもインストールできるだけのハードは持っているはずです)
で、マジョリティがこれをインストールして、かつ、次のステップとして「第三者的な要素」(=「外部要因」)への対応をやり始めると、
少子化でも、「対応可能」になります。実際に、結果もある程度出せるでしょう。
ただ、状況はシビアなので、「無傷で」とは全くならないでしょうけど、
日本人グループからある程度の犠牲を払って、
種として継続可能な芽を残すことができます。
政治判断により、その芽がブチっと潰される可能性もありますが、
それはしょうがない。できるところまでがんばった(ただ、獲れ高があまりないと評価された)という結果です。
それはそれで、受けるしかないでしょう。私は残念に思いますが。
がんばってダメだった、それは無意味なことではなく、
はっきり言って、結果だけでなく、過程も評価対象ですから、
「できるだけやってみた」という過程は、必ず誰かが見ています。
「できるだけやってるフリをしてアピールした」も、そのありのままで、見られていますよ。
ということなので、外部要因との向き合いを、オススメします。
おわり