読書の罠

noteにメルケルさんの人柄についてコラムを書こうと思っていて、最近本を読んでいます。

 

買った本はこの3冊です。

・「世界最強の女帝メルケルの謎」(著:佐藤伸行)

・「C‘ētait Merkel ~アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで~」(著:マリオン・ヴァン・ランテルゲム/訳:清水珠代)

・「メルケル~世界一の宰相」(カティ・マートン/訳:倉田幸信 森嶋マリ)

 

「世界最強の女帝メルケルの謎」を読み終わり、今「C‘ētait Merkel」の半ばまで読んでいるところです。前者は、日本のジャーナリストの人の著作で、後者はフランスのジャーナリストの人の著作です。

 

この2つで、書いてあることが正反対な個所を見つけて、これどう解釈しよう、と思っています。

 

それは、それは、「メルケルさんはトランプさんとオバマさんのどっち寄り(だった)?」という点です。

 

佐藤さんは以下のように書いています。

「巷間、メルケルという女性はトランプのような磊落(らいらく)な雰囲気の男を好きになるが、オバマのような理知的なタイプは苦手な風評がある。~中略~その説はあくまで憶測に過ぎない。だが、カリスマ性を醸し出そうとするオバマの過剰な演出にメルケルが反感を抱いていたのは確かなようだ。」

 

ランテルゲムさんは以下のように書いています。

「~前略~メルケルは三期目を終えようという今、~中略~アメリカに、はしごを外された思いだった。ドナルド・トランプの大統領就任式がワシントンで行われていたそのとき、クロード・モネの絵をじっと見つめているメルケルの場違いな写真は、彼女の幻滅を物語っていた。~中略~2013年、同盟国であるアメリカの情報機関が彼女の携帯電話を盗聴していたとの疑惑が生じたが、メルケルオバマの緊密な関係は少しもゆるがなかった。自由、開放、人間性という西洋の価値観は、孤立主義的な言説やトランプが建設した壁と対極をなすものであり、二人を結束させた。」

 

これらを読んで、「ん?」となりました。どっちが正解なんだい、と。

 

メルケルさんも大人の人間ですから、「本心では嫌っているけど、建前では好意的な態度を取る」ことも十分あり得ますし、その逆もあり得ます。

 

なので、この両者の意見が無矛盾になるようなケースは、「本心はトランプさんの方に好意的な感情があるが、政治的な立場においてはオバマさん寄りだった」というものになりますね。

 

結論としては、わからないんですよね。推測でしかない。(上記のケースが真実で)両者とも当たってるかもしれませんが、両者とも外しているかもしれませんし、どちらか一方が正解で片方が外れているかもしれない。

 

推測を検証する手段がないので、これは困ったなぁとなりました。

 

私は情報収集のとき、たくさんの本を読む、ということをほとんどしてこなかったので、一般的にこういう矛盾を見つけたケースにおいてはどのように対処すべきなのか知りたいです。

 

「2冊だけでなくもっと多数の本を読み、多数決で決める」でしょうか?それはけっこうへぼいやり方です。

 

おそらく、私はnoteの記事には、これに言及した内容は書かないと思います。「わからないから、書かない」これが一番無難ですね。ウソを垂れ流してもしょうもないですし。

 

私が過去に、派遣社員をやっていたときに、出向先の会社の社員のアメリカ人の女性を講師とした少人数の研修会に参加したときのこと。

 

そのアメリカ人女性は、講義の中で、平気で政治的に偏った考えを、受講生に刷り込もうとしていたので、少しカルチャーショックを受けました。

 

そういう意見のせめぎ合いが、日常にあるのが、アメリカ社会なんだな、と思ってすごいなぁと思った反面、気を付けなきゃいけないな、と警戒感も覚えました。

 

そういう意味で、さきほどのメルケルさんについての記述の後者、フランス人ジャーナリストのランテルゲムさんが、トランプさんを政治的な意味で嫌っていて、メルケルさんもトランプさんを嫌っている、オバマ寄りだ、という風にストーリーをでっちあげている可能性はけっこう高いと思っています。

 

ただ、その私の読みが当たっていたとしても、佐藤さんの記述が正しいという根拠にはならないので、結局わかりません。

 

このように、どうあがいても推測の域を出ない、検証ができない、ような推論は、あまり意味がないのでやってもしょうもないですね。無駄骨です。

 

読書して、わかることが増えて光明が差すだけでなく、こういったモヤモヤの霧も新たに発生するという、なかなか困った障害物走みたいになるんですね。

 

この状態じゃあ、真理が見えなくて当然ですね。