目ナルシスト

「目は口ほどに物を言う」ということわざがありますが、私もよく自分の目(瞳)を鏡でチェックしています。

 

理由は、自分のメンタルチェックをするためです。私は自分のメンタルの健康度合いを把握するのが苦手なので、目を見て、客観的に「こいつどんな感じかな?」と確認しています。

 

ちょっと前だと、私の目は冷たく暗さを持って、「絶対に見切ってやるぞ」という研ぎ澄まされた洞察の鬼、のような目をしていて、それを見て私は「よしよし、通常運行できてるな」と満足していました。

 

今、見てみると、割とやさしい光を含んだ、童のような落ち着いた目をしていました。これではちょっと頼りないのですが、今のテーマは「楽を求めて丸くなる」なので、これもよし、と思っています。

 

目のあるあるだと、一般的に共通して言えそうなことですが、目の光がキラキラしている人は、今まで比較的幸せな人生を送ってきて、「生きるのが楽しい」を良く知っている明るい人だと思っています。

 

反対に、目の奥が暗い人は、今がある程度楽しくても、過去、幼少期などに辛い目に遭っている場合が多いです。基本的に「この世はほとんど苦しみである」と半ば絶望しているような人の目は、暗く沈んだ色をしています。

 

かくゆう私も、目はキラキラしておらず、暗い目です。

 

ただ、この暗い目が嫌いかというと、そうでもありません。もちろん暗い目をした人も嫌いではありません。キラキラした目も嫌いじゃなく、いいなぁと思います。

 

暗くたって、その辛い中で生きているんだから、大したもんです。一緒にがんばろう、と応援したくなります。

 

その人の真価というものは、「今どのような環境にいるか?」とは関係ないということですね。

 

人は、キラキラ御殿の中にいても、どぶの中にいても、ブラックホールの中にいても、その価値が増えたり減ったりはしません。

 

私は自分の力を必要な分だけ高めようと思ってる、「意識高い系」のレッテルを張っても支障ないような人間なので、自分磨きを推奨しています。

 

実際の現実世界では、「弱い人はそのままでいいから、システムを高性能にして、補完しよう」という志向が強く働いているようですが、私はシステムには必ず穴があることを知っているので、それには乗りません。「その波には乗らないよーだ」です。

 

自分が成長して、見える景色がコロコロ変わった方が楽しいです。まぁこれは唯一の正解ではないですが、私はそれが楽しいからやっている、というだけですね。普遍的だ、とは言えないかもしれません。

 

「自分が成長すること」を是とした前提で話をすると、苦しい状況でこそ、その人の能力、技が輝きます。腕の見せ所ってやつですね。

 

だから、天国のような恵まれた幸福感いっぱいの環境というのは、ダラダラ過ごすだけの「やる事がない」やや退屈な環境です。

 

私はダラダラ過ごすのが好きなので、それも良いんですけど、楽しみ方はそれだけじゃないので、「ちょうどよく負荷のかかった環境」がベストですね。

 

疲れたら楽な環境で休む、とか。それが一番良いです。

 

結論的には、「私は環境に一喜一憂せずに自分を磨いて楽しむぞ」ということですね。