最近、「自分の事だけじゃなくて、人を立てることができる人が偉い」という考えに触れて、なるほどなぁと思いました。
私はけっこう我が強くて、人を立てることを全くしてこなかったので、そういうスキルも身に付けたら便利かもしれない。
私が人を立てない・・・例えば「職場の上司が昇進しようが評価下がろうが、興味ないしどうでもいい」と思っていますが、これは上下関係のルールで言うとアウトのようですね。
というのも、もしその人が一角の人物であるならば、世の中の要求に勝手にマッチして、「自然に自力で出世していくだろう」と判断しているからです。
逆に言うと、「部下(私)のサポートがないと、ぼく出世できないよ」という程度の人物に、投資価値があると思えないのです。
故に、人を立てる必要はない、という発想です。
しかしながら思ったのは、人を立てる必要はないけど、人を立てることができるならば、色々面白い(人間社会における勢力図を操作できる)ことが起こせるかもな、という可能性に気づきました。
私は人間社会からは精神的に距離を置いて、スタートを踏んだものですから、そもそも人間社会を操作しようとする発想がなかったです。
色々経て今となっては、人類生き延び案に賛成しているので、人間社会を操作してキャッキャと喜ぶのもいいかもしれません。そういう技術(人を立てる技術)に価値があるかというと、おそらく価値はあるんでしょう、という考えに至りました。
しかし、私の趣向としては、他人を操作して喜ぶのって、なんかつまんないな、という感想を持ちます。
私や他の他人の都合を全く考えずに、己を研ぎ澄ませて、突き抜けるような人物に、魅力を感じます。その人は、私の助けなんてまるで必要としていない自立した人間だろうし、そういう人は好きだし、できれば協力したいし、投資したいなぁと思いますね。
でも、そういう形だけが正解かというと、全くそういうことではないので、人を立てるスタイルでも、気配りスタイルでも、他人を操って身を立てる人でも優れた人はいるんでしょう。
単に、世の中で人気のあるものが、私の好みに合ってなかった、という悲しい現象ってことですね。