未来の人間社会の構想 一時中止

未来の人間社会の構想を局所的に考えてみたのですが、このアプローチには致命的な欠陥があるなぁと思ったので、一旦中止します。ただ、欠陥をカバーできたなら、またやろうと思います。

 

欠陥とは、前の日記で言った、「現実に存在している人類の創造物は、破壊と創造の相克を経て生まれた、残りかすである」という言葉に関係しています。

 

人間社会がどうあるべきか、を考えるとき、しばしば、その「残りかす」だけに注目して、人間に都合のよいものは何か、というプロセスになりがちです。実際、私もそうやって構想を描いていました。

 

しかし、残りかすは、それ自体のみで存在することは不可能だと気づきました。「残りかすが存在している」という事実は、イコール「全体から残りかすを除いた何かが存在しているという事実を同時に示します。

 

つまり「残りかす+何か=全体」という式が成り立ちます。全体は「定数」であると考えて差し支えないと思います。そして、残りかすを「物質宇宙」と言ってもいいでしょう。物質宇宙は、自らのみによって存在はできず、「何か」の在り方によって決定される、ということです。

 

人間社会を設計・建築するとことは、砂浜の波打ち際で砂の城を築くようなものです。波打ち際では、波の気分次第で、いとも簡単に砂城は崩れ落ちます。堅固な砂城を築くためには、海から距離を取って、波が届かない安全なエリアを確保することが必要です。国家の意思決定機関をどこかに置くとした場合、それは波が届かない安全なエリアが選ばれるでしょう。

 

「政府が安全で、国民の一部は経済的危機に見舞われる」この不平等現象は、上記の「物質宇宙+目に見えない何か=全体」理論(大雑把な理論ですが)と整合性が取れています。

 

で、問題は、一番注目しなければならない「何か」が、見えないってことですね。見えないから、どのように操作できてるのかどうかもわからないです。

 

例えば、人を殺した場合、物質宇宙は変化します。それに応じて、「何か」も変化するでしょう。このように、「何か」への操作は可能なんですが、「何か」へ具体的にどのような影響があったのかについての観測が不可能です。

 

私たちは物質宇宙の在り方を見て感じて、一喜一憂していますが、本来ならば、「全体を知って、『何か』を操作して、物質宇宙をデザインして、一喜一憂する」というのが人間にとって都合の良いアクションの形になります。

 

そういう意味で、単に未来の人間社会を構想するのは、「夢想する」のと同義ですね。

 

しかし、人間を操作する「政治的手法」として、「未来の絵を具体的に提示して、それを目標値にして人を誘導する」というのは、十分使える強い手法だと思います。

 

今の時点では、人間社会構想は夢想ですが、これを夢ではなく実効性を持たせることも、私は諦めていません。今回得た知見を基に、現実世界を評価していこうと思います。

 

情報収集の技術として「鏡手法」があるので、それをキーの手段にして、何かができるかもしれません。