反省会

前回の日記で、まったく的外れなことをしてしまったので反省会をします。

 

そもそも、何かを文字式で表せるということは、文字の定義等をした段階で、「確かなことがある」状態なんですね。

 

人間の行動原理の元を、感情や理に求めるのならば、まず、アドレナリンとか、セロトニンとか脳内物質を、「たしかなもの」が組み合わさった構築物だと認識するところからスタートするべきでしたね。

 

私は一体何をやっていたのか・・・まず、私の言論においては、ひとつひとつの単位が大きくて、しかも定義もはっきり決めない状態で、言葉を紡いでます。

 

これは論理的には表面を舐めるだけで価値がなく、そもそも「確かなことがない状況で、どう考えるか」という、違うルールでいつも語っています。

 

言ってしまえば、「意思決定のための言論」であり、又は、「人間視点での宇宙の認識方法」です。

 

これを突き詰めると、何がわかるかというと、対象の「構造」自体を知ることは全くできません、ただ、「意思決定に関わる、あらゆる情報が手に入ります」

 

最小単位のブロックを積み上げるのではなく、人間視点でのある程度の大きさのブロックを用いて、そのブロックの組み合わせで、未知のものの「動き」を解いていくという作業です。

 

なるほど、自分が何やっていたか、わかってきました。

 

論理的思考と、私の思考の違いは、「変化し続けるものを対象にしているかどうか」ですね。ふむふむ、これは面白いですね。

 

この両者を、うまくがっちゃんこできないかな・・・

 

私の視点で言うと、「この世に変化し続けないものは存在しない」前提なので、比較的、変化スピードが遅い対象については、論理的思考で、その構造を詳細に知る、ということをやっても面白いかもしれません。

 

その際「この対象は、変化しない前提で認識する!それでよく知る!」という勇気ある意思決定と共に、努力していきましょう。

 

人間の行動パターンについては、流動的なものの影響をモロに受けているので、もし論理的に解剖するなら、「DNAと人体の関係」等については、変化しない前提で扱ってもそれほどリスクはなさそうです。

 

宇宙の中で、固定的なものを切り取っていこう~