怪物(YOASOBI)

物語と音楽を繋ぐ人気ユニットYOASOBIさんの、「怪物」という大ヒット曲の歌詞に印象深いものがあったので紹介します。

 

「怪物」歌詞 一部抜粋

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清く正しく生きること

誰も悲しませずに生きること

はみ出さず真っ直ぐに生きること

それが間違わないで生きること?

ありのままに生きるのは正義か

騙し騙し生きるのは正義か

僕の在るべき姿とはなんだ

本当の僕は何者なんだ

教えてくれよ

教えてくれよ

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この歌詞は、学生は良い子でいることが推奨され、大人からはそれが正解のように言われている。しかし一方で日本経済は目に見えて大きく衰退している、その矛盾を含んだ社会の器の中で、不安や葛藤と共に生きている若者へのメッセージなんだと思います。

 

私の学生時代は、社会の多数決的な本流からはガン逃げして、その欠陥を補完しようとしたのでこの気持ちは十分に共感することはできませんが、「そりゃそうなるよな」と理解はできます。

 

この「怪物」の歌詞にあるような問いに対して、明確な答えを書こうと思います。要点は、「品行方正」か、「自分中心わがまま」か、という点だと思います。

 

コミュニティの中で傷つき、周りが敵に見えてくると、「まじめになんてやってられるか」という発想をするのは、普通ですね。

 

まじめにやってたら、傷つけられるんだから、「逆らうか」「傷つける側に回るか」しかないですね。で、「逆らってみたら痛い目に遭った」としたら、あとは「傷つける側に回る」一択になります。そういう意味で、自然で、普通です。

 

例えるなら、金属プレス加工の工場の製品のようですね。

 

しかし、世の中には「品行方正」な人が一定数います。「こいつら何なの?まじめにやって幸せなんて許せない」と思うかもしれませんが、私の考え方では、ちょっとこの批判というか、クレームは的を得ていないと思っています。

 

というのも、人が「品行方正」な行動を取る動機は、「まじめにやったら幸せになれるから」という理由だけではないからです。

 

例えば学校の勉強をまじめにやる人・・・

 

その人は「勉強はどうでも良い分野だから、とりあえず暫定的にまじめにやってればいいや」くらいの感覚で、勉強をやっている場合があります。赤点とったら卒業できない、それはまずい、そんなトラブルに巻き込まれるのはバカバカしい、だからそれなりに勉強しとこう。

 

このくらいの感覚で、一方、どうでもよくないこと、大事な分野では、「誰にも負けないぞ」くらいの気持ちで注力するというのが、ひとつの勝ちやすいフォームですね。

 

で、この「誰にも負けたくない」分野に置いて、芸術の世界でよく言われる「型破り」(型無しではない)のルートに入ります。

 

①型を学んで(品行方正)

②型を破る(自分中心わがまま)

 

ここまでを踏まえると、「怪物」の歌詞にあるように、「どのような態度が正解か?という問題提起自体」が、自分が何も見えていないことを表明しているということです。

 

まとめると、正解は、場面によって「品行方正」と「自分中心わがまま」を両方使い分けるということですね。こんな単純な軸1本で、世界を丸ごと斬ろうとするのは無理なので止めた方がいいです。

 

歌詞の最後にある「本当の僕は何者なんだ教えてくれよ」に対して答えると、「何者だっていいじゃない みつを」という感じでしょうか。

 

もしも自分がアリンコでも、恐竜でも、普通の一般人でも、その時々でベストを尽くすことに集中した方が自分にとっても他の人にとっても良いことだと思います。