求道のやり方

求道というと、ある分野で色んな事にチャレンジしていく、みたいなニュアンスがありますが、これをやるというのは自分の変化を受け入れることが必要条件になってきます。

 

現在のやり方の修正、新しい発見による革新、いずれも変化を伴います。

 

ただ、日本人の特性からいうと、できれば変化したくない、自分の外側の世界の方が変化してほしい、という人が多いように見受けられます。

 

私は、変化は好きでも嫌いでもないですね。ただ、「自分全体丸ごと」は常時更新されているもので、できればそれをチェックできた方が(現実直視という意味で)好ましいので、「変化が楽しい!」と思える人は強いでしょう。

 

日本人の変化したくないというのは「液体(リキッド)」の性質に類するものからきているのだと思います。特定の環境下のみ可能な、「人との繋がり」に重点を置いたスタイルです。

 

多くの日本人がグローバル社会に馴染めない理由も、人間関係が繋がって「液体」を維持するために注力してるから外部まで手が回らなく、又、一旦液体状態の維持さえ達成できてしまえば、そのまとまりの内部(無重力のゆりかご)に安住する気満々からです。

 

これを「欠点だ」と言ってしまうと絶望的・非生産的だし面白くないので、ひとつの性質、日本人の伝統的な文化として解釈するのが良いと思います。

 

液体無重力ゆりかご大作戦の優秀な実行者である日本人が、求道をする場合のシナリオを書きます。

 

まず求道すると、必ず失敗が発生します。

 

日本では一度失敗すると、ひどく叩かれ、お祓い箱にされてしまいがちですが、これは日本の文化ではありません。

 

「日本の文化を堅持しつつ、現実に対応することの困難さ」からくる苦し紛れの下手くそなやり方だというだけで、日本文化とは違う階層(レイヤー)の生活習慣です。

 

だから、まず「日本で生きるなら失敗してはいけない」という固定観念をぶっこわしましょう。日本人でも失敗してもいいのです。

 

求道とは、「失敗」という資源を有効活用する便利な技です。これができる人が増えると、当人はもちろん、私にとっても、地球の反対側のブラジル人にとっても良い事があります。

 

「そんなことしなくても今十分幸せだよ」という人は、別に求道しなくても良いと思います。(そういう人が、もしいるなら私は観察したいです)

 

では求道とはどうするか、場(進む分野)を決めて、目標を立てて、行くだけです。シンプルですね。大事なことは、その道の先にあるものに、心から惹かれていることです。

 

将棋の藤井聡太さんをイメージするとわかりやすいですが、「自分がどこまで強くなれるかを追求したい」とテレビで言っていました。藤井さんは、多分、「自分がどこまでカラオケが上手くなれるか」は追求しないのでしょう。将棋が好きだから。

 

好きでもないこと、をずっとやり続けるというのはけっこうしんどいです。なんらかの推進力がなければなりません。

 

自分がどういう時に一生懸命になれるか、やりがいがあるか、その推進力を探るという意味で、自分を見つめる時間があるといいですね。

 

で、推進力があると、液体のゆりかごからポーンと飛び出ちゃいますね。これは困りましたね。かと言って、じゃあ日本全体まとまって推進していこうとなると、歴史上で、一億玉砕、太平洋戦争ぼろ負けみたいな、大惨事が起こっています。

 

ここで、この過去の大惨事にひるむことなく、やはり液体でいくなら、全体で推進していくというのがいいと思います。

 

その代わり、玉砕するリスクをゼロにする。集団火の玉の(主に減速)をコントロールする役割の人員を配置するのがいいと思います。

 

そういう意味で、日本は中国から学ぶことが多いんじゃないでしょうか。まぁこれは別の話です。

 

そのコントロールを、国際金融資本とかに外注したら面白くないですよ。「日本国」っていうなら自分でやった方がいいです。その方が向こうも助かります。

 

で、日本人の集団が行きたい道を見出して、政府のコントロールを受けつつ、求道していくと。その線がよさそうです。

 

道を進むと、失敗しますよね。失敗しないことはもうできるんだから、それは置いといて、できないことを基本やります。

 

で、結果がでない、でも「失敗した」という情報の宝庫を手に入れることができます。推進力で、くじけずにどんどんやる、また失敗したけど前よりちょっと良くなった。とか。

 

この辺のことは、20世紀の経済成長を支えた製造業の方なら誰でも共感できると思います。

 

なぜやらないのか、どんどんやりましょう。「だって国際金融資本が・・・」とか言っても、国際金融資本だって日々新しくなってるので、決まったルールなんてありません。失敗しまくって、差し引き1ミリでも進めれば勝ちです。

 

で、求道の本質は、結果ではなくて過程だという事です。長々とまとまらない日記を書いていますが、これが一番言いたかった。

 

「その道程を歩んだ」この世界は、決して誰も裏切りません。「結果を追って、道程はどうでもいいや、楽に旨い想いしよう」って輩は自分を救えません。

 

せっかく地球には時間軸があるんだから、それを最大活用するべき、という言い方もできます。「変化」「過程」どっちも時間と深い関係にあるでしょう?ここにヒントがあります。