「西洋中世世界の成立」(増田四郎 著)を1/5くらいまで読み進めました。
前回の日記で、論拠となるインプットも提示してほしい、読者が本に書いてある情報の正確性を判断できるようにしてほしい、と書きました。
で、1/5まで読んでみると、インプットもけっこう示されていますね。あと、「〇〇は間違いないだろう、ただ、△△に関しては、容易には断じられない」のように書いてあったりして、情報の正確性についても言及されていました。増田さんごめんなさい。
ただ、そのインプットとなる歴史資料は、当然日本語ではなく、又、それを読み解くにも背景の基礎知識が必要となるので、私には読解不能です。
それを増田さんが読み、一般人向けの文庫本として、執筆して頂いたので、有難いことだし、あまり読者の立場で「クレクレ」のひな鳥みたいな態度を取るのは、求めすぎだったな、と反省しました。
それで、読んでみたんですが、やはり社会文化とか社会構造の変化の本質とは何か、というのはかなり難しいテーマなんだな、と再確認しました。
増田さんも、変化の本質を、どこに求めるか(その時代の人の能力に求めるか、それとも外的要因に求めるか、など)についてかなり慎重な態度で書かれていました。
私は、おそらく両方だと思っていて、「決定的な要素は何か」というのはあまり突き詰めてもしょうもないな、という印象を持っています。
変化を起こした要素のなかに、やっかいな「人の意識」も入っています。意識は観察不可能なので、ブラックボックスです。これをどう扱うか、について考えないといけないですね。
西洋と日本の違いというのも、推測ですが、この「意識」の差異がかなり影響している可能性があると思います。
もしもヨーロッパと、日本の地理的条件をそのままに、人だけそっくり交換したら、どうなるかというと、おそらくヨーロッパで生きた日本人は、今のヨーロッパ人とは大分違った社会文化を形成していたと思います。
今、思いつきで、この思考実験しましたが、この方法は結構使える方法かもしれませんね。もしも入れ替えたら、どうなっていたかをシミュレーションして、西洋人と日本人の意識の差を抽出する。
相変わらず、これで得られた結論は、他者へ納得させることは不可能ですが、私の中ではある程度意味のある情報となります。素人のゴーイングマイウェイですね。
あと、本を読んでいて気になったのは、もし書いてあることと同じことを私が書いたとすると、2行くらいの文章で済ませる内容を、増田さんは述語をめっちゃ長くして、数ページで表現されていますね。
これは、結構読んでて面白くて、読んでるうちに、この文法というか論調?に慣れてくるんですよね。学者特有の言い回し、質的には、情報過多なんですが、その技術がとても洗練されているので、興味が湧きました。
私もこの言い回しを身に付けてみたら、楽しいだろうなと思います。