本を読むということ

今、「西洋中世世界の成立」という本をチビチビ読んでるんですが、ちょっと戸惑っています。

 

読んでみて、紀元前2世紀くらいの、ヨーロッパ社会の上下階層とか、「~は~だ」と書いてあるんですが、その根拠が書かれていないんです。

 

これは・・・どうすれば処理できるんでしょうか。「~のインプットを得て、~の結論に達しました」という風な情報の出し方じゃないと、読者は、その情報を咀嚼できないと思うんですよね。

 

私は、学校の教科書・・・とりわけ歴史の教科書は、はなから信じてなかったです。歴史学者は、自分の都合の良いようにストーリーを紡いで、それを教科書にあたかも正しいことのように書くケースがある、ということを知っていたので。

 

著者の増田四郎さんが、そうしているかどうかが私(読者)には判断できないんです。つまり、本の中に、正しい部分と間違っている部分が両方ある可能性がある。それをヒヨコの選別のように、「正確性のグラデーション」毎に情報を区分して、整理する、ということを読者ができるようにしてほしいです。その整理をしないと、その情報の「使用」が不全となります。

 

そのために、論の根拠となるインプットを提示してほしいんですよね・・・

 

おそらく模範的な学生は、教科書に書いてあることは正しい、という前提で、本を読んでいくと思うんですが、実際問題、間違いが一部含まれているかもしれない(全くのデタラメかもしれない)情報を、インプットして、それを自らの血肉にしよう、というのは、積極的な自殺行為であり、なかなか勇気がいることだと思います。

 

読者を罠に陥らせることを防ぐためには、以下の①②の論法が良いと思います。

 

①~の歴史資料から~のインプットを得ることによって、誰がどう見ても~が~であることは確かに正しいようだ

②加えて、私の個人的な見解では、~のインプットより、~である可能性が高いと思っている

 

こう書いてくれたら、この情報は咀嚼可能です。これは別に至極当たり前のことだと思うんですが、この形式を取らない理由が何なのか気になります。

 

歴史的に正しいことなんて、基本的にその時代に生きてみないとわからないし、もっと言えば、今だって、リアルタイムに生きてる人も、自分が生きてる時代を正確に理解できていない可能性があるのです。

 

そう言われてみると、私も今の時代を正確に理解できてるかというと、ぜんぜん不十分ですね。まず、現時点での神羅万象の事実確認ができてないし・・・もし事実確認ができたら、ある程度の精度を持った理解はできるかもしれませんが。

 

とりあえず、本を読むときは、咀嚼しようとしないで、犬の「待て」状態で、書いてある内容を写経のように頭に刷り込んだ方がよさそうです。

 

記憶は苦手なので、つらいなぁ。