システムの形は、インプット→■ブラックボックス(意識)■→アウトプット。
意識の中身は、自分で変えるしかないので、基本的には他者がどうこうするような領域ではありません。
なので、インプットをいじっていくのが良いと思います。
その結果、意識が変わることがあるかもしれませんが、それは放っておきましょう。
自分以外(外)からの評価は、①インプット、②意識、③アウトプットそれぞれが測られます。
①インプットに関する評価
これはどれだけコストがかかるかです。例えば「毎日、いっぱいのお花に囲まれてお昼寝しないと良い作品がつくれない芸術家」だったとすると減点です。
この人の場合は、「どんな悪環境でも許容できる能力を身に付ける」方向か、「低コストでたくさんのお花を調達する能力を身に付ける方向」があります。どっちでもいいんですが、できれば両方できるのが望ましいです。
個人の教育としては「依存しないで自立する」という方針です。
②意識に関する評価
「インプットをどう処理するか」の処理能力が測られます。例えばAさんから「カニは道楽だよ」と言われて、そのまま「そうか、カニは道楽なのか」と思い込むと減点です。そのまま「Aさんは『カニは道楽だよ』と言っていた」と記憶できるか、などの情報処理の話です。
言い換えると、現実直視能力です。自分の思い込みにより作り上げたフィクションと、現実との乖離が大きいほど、意識としての能力は低いという評価になります。
個人の教育としては「視野を広げ、偏見をなくす」という方針です。
③アウトプットに関する評価
私にはよくわかりません。ほとんど行動しないタイプなので。
アウトプットに関しては、外部にどんな影響を与えたか、が評価対象でしょうか。例えば水面に落ちた木の葉が、どのような波紋を作り出すか、とかそんなところだと思います。
私がこの日記を書いているのも、ひとつの行動で、もちろん影響を考えていますが、実際良い影響があるかどうかはよくわかりません。「良い影響」の定義もわかりません。数学を適用して解を出すタイプの私の苦手な領域だと思います。
個人の教育としては「トライアンドエラー」の方針かな?
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ここまで、教育方針を①②③について書きましたが、これを「一般人」「小学生」に適用し、能力を伸ばしていくと、日本は強い国になると思います。
最初に述べたように、インプットをいじっていくのがいいと思います。
多様なインプットを与えて、「どう思ったか」アウトプットを出してもらう。
それを教員が見て、また適当(ふさわしい)なインプットを与えていくという流れ。
「東日本大震災を見て、どう思った?」
「イーロンマスクさんの発言や活動を見て、どう思った?」
「日本の戦国時代の暮らしを見て、どう思った?」
こんな問い、いくらでもあるでしょうけど、ガンガン投げていって、①②③を強化するために最も効果的なインプットを投げ続ける、それでかなり鍛えられると思います。
そもそも子供を鍛えなくてもいいんじゃい、という意見もあると思いますが、子供は将来大人になって「鍛えてもらって良かったな」と思うんじゃないかなと思います。
この日記はアウトプットとしてどうなんだろうか、試行錯誤の毎日です。