AIがやってる情報処理について考えてみました。
例えば、「ねずみ」という言葉を人間が聞くと、
「小さくてモフモフしてて前歯があるアレ」を思い浮かべますが、
生成AIは、多くの人が連想する「あらゆるねずみ」の画像・動画データを持っていて、それを母集合として、共通する「ねずみらしさ」のデータをビット単位で特定し、
「ねずみらしい」画像や動画を生成する
→それを人が見て、「ねずみだね」と認識する、ということだと思います。
別の例で言うと、「怖い」という言葉を人間が聞くと、
人によって過去に経験した「怖さ」は異なると思います。
「暗い」ことが怖い人もいるし、
「切り裂くような叫び声」が怖い人もいるし、
「血まみれ」が怖い人もいるし、
「鬼のような顔で怒ってる人」が怖い人もいるでしょう。
AIは、それらの画像・動画データは大量に持っていると思いますが、
どういうカラクリかは知りませんが、
上記のような多くの要素の中から選択したり、複数組み合わせたりして、
「怖い」データに共通する特徴をビット単位でアウトプットする、ということになってるんでしょうね。
で、現時点での生成AIは、「万人(母集合の定義群)が怖いと思うような画像・動画」を作るようになっていると思いますが、
ここから、人間個人の特定の主観に基づいた、オンデマンドな生成AIというものに進化していくと思います。
これは需要がありますからね。自分の見たい世界をアウトプットしてくれるという意味で。
そんで、以上のようなカラクリであるならば、
生成AIとは、「めっちゃ『物知り・経験豊か』で、『想像力のある』、『人への印象付けが上手い』、アーティスト」という感じになるんだと思います。
「ねずみ」や「怖い」の言語データと、画像のビット単位のデータの、
結びつきを学習しているので、
それは脳細胞の結合・・・詳しく言うと「単細胞っぽい人を大勢用意して、それらの脳みそ群を上手くがっちゃんこした『脳群』」なんだと思います。
なので、厳密には、「人間の脳」のシミュレーションはできていないと思います。
人間の脳は4次元的・・・複数レイヤーの重なりがありますが、
AIは3次元的が限界でしょう。2次元の画像や言語を、メタ方向(+1次元)からの統制で、アウトプットをしている。
故に、潜在能力的に、AIは人間には勝てません。
ただし、「AIより劣ってる人間」は、ありえると思います。人間がサボったり怠慢かましたりすれば、AIより知能で劣ることはあるでしょう。
そんで、AIは基本的に道具なので、「人間に利する」ような方向性で、設計されると思います。
そこで、例えば「環境破壊を推進して金儲けしようとする人間」をAIがどう扱うか。
そこには人間同士の政治力学が働くし、AIもそういう環境破壊する人間に低評価を付けるかもしれません。
そうなったときに、「AIに評価されるような人間にならなければいけない」という政治的な圧力が発生することは容易に予測できます。
そこで「いや、AIなんかに自分の生き方を指図されたくねぇ!」というアンチAIの人間も生まれるし、
「オレの欲望を満たすためにAIを最大限使ってやるぜ!」という人も出てくるでしょう。
この「AIとの関わりかた」によって、人間の属性が定義され、分断が起こる、ということもありえると思います。
人間の正道としては、「情報を4次元的に処理して、AIより優位に立ち、AIを道具として安全に活用する」というものになります。
「教科書を読んで勉強する」は「3次元的な情報処理」ですので、
もっと想像力を膨らまして、4次元ベースでの思考を教育に取り入れるのが良いと思います。
そのためには「現場主義」を貫くことで実現します。
「理論」を「実践」する、あるいは「想像」を「具現化」することが重要です。
そういう訓練を積んだら、AIを安全に利用して、業務の効率化が図れると思います。
おわり