この素晴らしくない世界

Youtubeで、みずほ銀行のシステムトラブルについての動画を見たんですが、要点は、執行部がシステムのテスト・保守を軽視して、人的資本を過度に削減したのが主な原因のようですね。

 

これを見て、まず、組織の頭が腐ると、発生コストが爆発的に大きくなるなぁという、既知の教訓を得るのですが、じゃあなんで組織の頭が腐るのか、について突っ込んで考えたいと思います。

 

腐るとは、自分の利益を追求して、周りがどれだけ被害を被っても関係ない、むしろ周りから奪うことで利を得よう、という発想を持つことです。こうなる背景は、やはり「世界はくそったれだ」という認識でしょうね。

 

世界がくそったれだから、「自分の利益を得るのはとても大変だ、努力しなければいけない」という考えを持ち、人一倍努力します。そして、世界がくそったれだから、「他人がどれだけ苦しもうとも、当たり前のことだ」という考えを持ち、「どうせ苦しむのなら、自分が他者から奪って、苦しみを与えてやろう」と発展させます。

 

これで、腐った上層部の完成です。こんな単純な構造で十分な説明になっているか、確信はありませんが、こういう構造なら、腐った上層部ができるだろうな、という必要条件として合っていると思います。

 

そして、他者から奪う行為に対して、「自分は優れた立場の人間だから、劣った立場の人間より優遇されるのは当然のことだ」という後付けの理論が、腐った頭の中に発生します。

 

この人に対して、私みたいなもんが、「人はみな平等だよ!やさしくしてよ!」と訴えても、後付けの理論に対してのアタックにしかならず、これはクリティカルではありません。

 

本質的には、「世界はくそったれだ」という認識だろうと思います。私は、この世界に生れ落ちて、けっこう大変な思いをしましたが、世界を見るに、くそったれだとは思ったことがありません。

 

20代の頃は「こんなの自分には作れないな」「よくわからないな」という評価をしていました。

 

今思うと、「世界はくそったれだ」と思わせることも、システムの機能の一つであろうと思います。なぜならば、そう思わせることに成功したならば、「繁栄しない人間」が簡単に作れるからです。

 

繁栄しない人間は、積極的に苦しみ、衰え、破壊をします。そういわれると、私も「繁栄しない人間」だったのかもしれません。苦しみ、衰えは・・・しなかったかもしれませんが、破壊もしました。

 

今は、比較的幸せで、衰え、破壊を自粛しています。そう変わった一番のきっかけは、「世界への認識の変化」です。

 

「こんなの自分には作れないな」「よくわからないな」というのは、今も変わらないのですが、今は昔より、世界への信頼度が増しています。「細部までよく作られている」腕の良い職人が作った、手の込んだ芸術作品のような印象を持っています。

 

この世界への認識の仕方が、その人の価値観に多大な影響を与えるのだと思います。世界がくそったれだという認識で、人が幸せになれるわけがありません。

 

だからといって、自分が幸せではない原因が、現実的に世界がくそったれだから、とは言い切れないのです。

 

つまるところ、幸せかどうかなんて問題じゃないのです。今、世界をポジティブに認識できているかどうか、が問題です。

 

そして、世界をポジティブに認識できているなら、それは幸せだということです。

 

①幸せになりたいと思う

②幸せ度の測定器の表示を見ないようにする

③世界をポジティブに捉える

④幸せを感じる

 

この手順②と③が、壁になってるんでしょうね。幸せになりたいけど、不幸でもおかまいなしで、世界を素晴らしいと思う、そういうアクションが必要になります。

 

この手順を人間全員が踏めるようになったら、経済における諸問題は楽に解決できるだろうと思います。