争いについて考えてみた その5

①争いの発生を防ぐ方法

②起った争いを解決する方法

 

この2点について、現時点で取れる可能な方法について考えてみます。

今回は①について。

 

争いが起こるための必要条件としては以下であると考えます。

・「味方と敵の区別」が可能な人間(又は集団)が2つ以上あること。

・どちらか一方、又は両方が「何らかの欲」を強く肯定し、それが客観的に見て矛盾状態(あちらが立てばこちらが立たず状態)であること。

 

『「味方と敵の区別」が可能な人間(又は集団)が2つ以上あること。』

 

まず、人間が「個」という概念を捨てて、人類皆一心同体という考えを共有していた場合、仮に人間間で暴力による殺人が起こっても、それは争いではないということです。

 

生物はそれぞれ「自分の種」を守り、繁栄するために注力していますが、大きな視点で生命を一括りにすると、食物連鎖は「争いではない」という結論になります。

 

ここで興味深いのは、「どの立場の視点に立つか」によって、一つの事実が争いだったり、争いじゃなくなったりする点です。

 

全ての争いをコントロールするという目的に照らせば、

「全ての立場においての争い」が制御の対象になるという点を忘れてはならないと思います。

 

全ての争いを防ぐためには、個々の「味方と敵の区別」に対して干渉する必要があります。

  

例えば家畜を食べる人間の立場では、家畜は絶対的な味方なので殺しても争いではない、という認識を持ちます。

 

一方、家畜の側からしたらどうでしょうか。

もし家畜が「生命は皆ひとつ」という概念を持っていたら、これは争いではないでしょうが、おそらく、違う種の人間のことを敵(もしくは競争相手)と認識し、家畜にされ殺されることを一方的な侵害行為だと思っているに違いありません。

 

いや、思ってないかもしれないですが、蜂の巣を守ろうとする蜂の姿などを見ると、動物や虫も「敵・味方」の区別はついているんじゃないかと推測します。

本能として、そういう機能が備わっていると言ったほうが正確かもしれませんが。

 

争いを防ぐには、まずこの「敵・味方」本能を機能不全にするというのが需要なポイントになります。

 

敵がいなければ、蜂の針や牛の角は存在しないでしょう。

代わりに、平和的な捕食が横行します。

そして「食べられる相手を選ぶ」という新しい投資的な発想を持つ生物が生まれると思います。

 

生物全体のピラミッドの内、どの個体を自分の上位に据えるか、それが生物全体の繁栄にとって重要事項だからです。

私は今、考えることで「これが重要事項だ」と言っていますが、もちろん生物はそんな思考をせず、自然にそういうことが可能な生物が生き残るのでは・・・と予想しています。

 

さて、「敵・味方」本能を実際に修正する手段について考えます。

 

これは生物が持っている生存本能と強く結びついているものなので、これを否定すると生存本能そのものが失われる可能性がありますが、

 

私は「敵・味方」本能のみの削除、変更は可能だと考えます。

「生物は己の家族を味方だと認識できる」この事実一点を以て、その味方の範囲を拡張することは可能だと言いきっていいと思います。

 

「敵・味方」本能が生まれた背景には、生存するのに厳しい環境があるという点があるのでしょう。環境が敵、というわけです。根本的に世界を憎んでいるんですね。

 

なので、環境をぬるま湯にすれば、「敵・味方」本能は削れる・・・しかしこれをやると、生存本能まで損なわれてしまう可能性があります。

 

う~む・・・

 

プランクトンが自己増殖する原因は、本能ではなく一種の物質の化学反応です。

本能は、後付けなんですよね。後付けの本能のデザインは、やはり遺伝子操作によって可能ではないか(ぬるま湯環境でも生存本能を維持できるのではないか)と思います。

 

遺伝子に本能について記述されている部分が必ずあると思います。

それを操作して「敵・味方」の本能を削除→環境をぬるま湯にする、というのがこの件に関する私の解答です。

 

現実的な案になってないのが悲しいですが(遺伝子操作の技術がない、全ての生物環境をぬるま湯にする手段がない)人間を含む地球上の生物の遺伝情報をあるプランに基づいてデザインしていく、という方向は主流になると予想しています。

 

話が生物全体に及んでしまったので、人間社会の争いに絞って付けたします。

 

争いのない社会が存在するためには、最近アメリカが出張ってきて言ってるように、パワーの一極集中という必要条件を満たす必要があります。

 

強大なパワーの存在によって、個人がそれを敵とみなすことを放棄させているんですね。共通の味方を柱にして、味方の連鎖を構成する、それが国家の在り方です。

 

しかしイスラム過激派は、アメリカを敵視しています。

なぜなら、自分たちもある程度武力というパワーを持っているし、仮にパワーに圧倒的差がついても、アメリカには汲みしない、と思っているからです。

 

力で殺されても、反撃する意図を持っている捨て身の危険な存在です。

 

普通の人なら、アメリカの圧倒的な軍事力に立てつこうと思いませんが、

イスラム過激派が持っている「敵(の概念)」を排除するには、軍事力では用が足せないということです。

 

これはつまり、世界の統治者を名乗るならば、軍事力とは違う方向性の「あるパワー」を備えることが重要だということを示しています。

 

それが何なのか、具体的に言うと、イスラム過激派の人に「味方だと認められる」力とは何なのか?

 

それは本人たちに聞いてみないとよくわからないですが、

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の格言通り、イスラム過激派の人と対話し、相手の心情を読み取って、お互いに味方になれる条件を満たすという方向性は、新しい課題として取り組む価値はあると思います。

 

こんな感じで・・・

まだ1/4しか進んでないですが、長くなるので今日はここまでにします。

 

次回は

「どちらか一方、又は両方が「何らかの欲」を強く肯定し、それが客観的に見て矛盾状態(あちらが立てばこちらが立たず状態)であること。」

について争いを防ぐ方法を考えてみます。