A diary 8/20

ある小人がいたとする。

 

彼はとても小さく、いるのかいないのかわからないくらいの存在である。そして比較的敏感である。

 

小さいが故に、大きな音、大きな衝撃、大きな変化から強い影響を受ける。

 

ある巨人がいたとする。

 

彼は大きく、自分が自分であることをわかっている。そして比較的鈍感である。

 

少しくらいのダメージは、気にしなければどうでもよくなる。大きな脅威に対しては、自身の大きな手で殴りつければよいと思っている。

 

巨人にとって、小人は小さすぎて見えていない。

 

巨人がストレス解消に大暴れをすると、周囲の何人もの小人が押しつぶされ、すりつぶされる。

 

小人の中には、無力であるためその悲惨な状況をただ受け入れるしかない者がいるが、一方で、その状況を力で対処しようとする力ある小人もいた。

 

力ある小人は、仲間と協力し、巨人と戦う決心をする。

 

力ある小人たちは、お互いを喰い合い力を溜め、大きな帳となった。

 

帳は巨人を包み込み、あらゆる景色、感性を与えるやり方で、巨人を支配した。

 

最初は暴れていた巨人だが、帳の干渉により、次第に大人しくなり、「大きな置物のように」なった。

 

小人はこれで安心だ、と思った。「大きな存在は、動かないでいてくれるのが一番都合が良いな」。

 

人間は巨人である。すべての巨人が人間であるとは限らない。

 

つまり、世界は小人と巨人の関係性がメインテーマになっている。という物語(世界観)もありうる。

 

私や、地球の人間の意識は、小人の身内であるが、「仮想敵の巨人」でもある。

 

小人たちは、新たな未知の巨人(脅威)に対応するために、日々研鑽している。敏感な彼らにとって、本当の意味での安住はやってこないからだ。

 

人間は、小人の味方の巨人としての振るまいを求められている。

 

小人の味方になりたくない、と思ってもいいが、それだと「仮想敵の巨人」として処理されるだろう。

 

私は、小人の味方になろうと思う。

 

未知の巨人、やっかいな巨人、凶暴に見える巨人と、対峙することが私の役目だと想像している。

 

具体的には、敵の巨人の一部を私(巨人)の中に取り込んで、治めるという手法。

 

ウイグル人の一部の中に「敵の巨人」を取り込んだ中国。

 

中国共産党は、「ウイグル人を弾圧する」という判断をした、のかもしれない。

 

テロリストという「敵の巨人」を取り込んだ地球人。

 

テロリストとどう対峙し、治めるか?どのように「動かない置物」になることを実現するか?

 

それが問われているかもしれない、という物語でした。