娯楽性日記 8/10

今回のテーマは教育について。小学校一年生くらいの子供に対して、義務教育の中学生までに9年間くらい教えている状況ですが、この間に何を教えるべきか?ということを考えてみます。

 

これはけっこう簡単なことで、「自分が小学生だったら、大人から何を教えて欲しかったか」を考えたら、それがひとつの答えになり得ると思います。

 

私だったら、まず、国の政治的な方針について、知りたかったですね。

 

政治とは、単純に表現すると「性質Aはいいけど(守るけど)、性質Bは禁じる(排斥する)」ということだと思います。

 

私は受験戦争ブームの末期くらいで、小学生時代を過ごしましたが、この時期での政治方針、つまり守られていた「性質A」とは、

 

「上からの指示に何の疑問も抱かない素直さを持ち、与えられた課題を忠実にこなす」性質だったのだろうと思います。「使いやすい駒、兵隊」であって欲しかった。

 

もし私がこの方針をはっきりと、小学1年生のときに知っていたならば、最初は「はい、わかりました」と言いなりになっていたかもしれないし、少しずつ成長するにつれて「その条件は飲めない」と思っていたかもしれません。

 

政治方針に対して、言いなりになるにしても、拒否するにしろ、国という大きなうごめきに対して、「私はどういう関係性を持っているのか」が明確になるし、又、先生や政府から見ても、「○○君は、そういう子なんだね」と客観的に知ることができます。

 

国の方針に対して、例えば6割の子供が「拒否」を示したならば、それはそれでいいじゃないでしょうか。

 

6割の拒否に対して、国が「いや、なんとしても我々の方針に従ってもらう」とするのもアリだし、ボトムアップ方式で、「一体何が不満なのか」とかリサーチして意見をくみ取るのもアリです。

 

いずれにしても、議論や対話が起こり、「なぜそのような政治方針なのか」ということに対して、子供側に、根拠を示せばいいだけのことです。

 

「この世界では基本的に何が正解かわからないけど、我々は政治的にこうしたいから、そういう方針なんだ」と、率直に言えばいいでしょう。

 

それをしないで、「本当は従順な駒が欲しいのに、それを明らかにせずに、『あなたの成長のためにこの勉強を教えます』みたいなスタンスを取る」のは、誠実さがないですね。

 

誠実さがないのなら、国民と敵対するのも厭わないということでしょう。

 

結局、為政者側から子供への情報提供が十分でないのは、「反乱が起きても、それを力でねじ伏せる」体勢を取る必要があることに起因しているのかもしれません。

 

簡単に言うと、世代交代における新兵を味方として信頼していない。

 

信頼していないなら、しょうがないですね。

 

信頼した方が良いのは明らかですが(本質的に敵ではないので)、信頼ができない、信頼したくない、それは外部に敵がいるせいだ、という世界観に掴まっているのならば、私としては、「その世界観に飽きるまで待つ」というアクションを取ります。

 

私待つわ いつまでも待つわ♪