「西洋中世世界の成立」のフランク王国のメロヴィング王朝時代の流れを暗記してみたのですが、あんまり手ごたえがないです。
手ごたえというのは、「インプットした情報を使いこなせる」状態の意味ですが、記憶したことが、倉庫の隅に段ボール入りで積み重なってる感じです。
この情報・・・率直に言うと持て余しています。
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■メロヴィング王朝(481-751年)
481年初代の王はクローヴィス
496年クローヴィスが大司教レミギウスからカトリックの洗礼を受ける
511年クローヴィス死後に、4人の子供がフランク王国を分割統治
男系が途絶えて、首都のひとつソアッソンの王クロタル1世が統一(560年)
561年にクロタル1世死後、再びその子4兄弟で分割統治へ
アウストラシア、ブルグンド、アキテーヌ、ネウストリアの4地域で分割統治
4兄弟が競って周辺地域との戦争をしている間は、王国の統一は保たれていた
567年三男カリベルト1世死去、他の3兄弟でアキテーヌ領分割
587年貴族の陰謀が発覚、アウドゥローの条約が定められたが、効果はなく貴族の増長は抑えられない
613年にアウストラシアの王ジギベルト1世の王妃ブルンヒルドが死刑
(ブルンヒルドは貴族主義に対抗し、王権復興を主張していた)
613年クロタル2世が形式的に王国統一したが、実質的には貴族主義の勝利
614年「王の勅令」で、大地主の保護が確認された
フランク王国はアウストラシア、ブルグンド、ネウストリアの王権分立主義
クロタル2世の死後、子ダゴベルト1世の治世で一時王権の伸長がみられたが
7世紀後半は暗黒政治となり
後のカロヴィング王朝の祖、アウストラシアの宮宰ピピンが力を持ち始めた
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という感じ。けっこうぐちゃぐちゃしていて、ブルンヒルドさんは、ネウストリアの王妃フレデグンドという「恐い女」に妹を暗殺されてキレて喧嘩していたそうです。最終的には、馬に四肢を引き裂かれるという痛そうな死刑で亡くなったとのこと。こわっ。
この辺の混乱っぷりは、情報としては良い代物だと思うのですが、持ってる情報が表層的すぎて、「うーん・・・だからどうした!」というやきもきした感じがします。
この時代の登場人物の内面の性質と、彼らには外部からどんな情報が入っていたのか、というところがはっきりしないと、この情報を如何ともしがたいんですよね。
パーツが足りない。デアゴスティーニの全号揃ってないのと似てますね。
ということなので、「西洋中世世界の成立」とあと縄文・弥生時代の本は読み切るとして、暗記はやめようと思います。使えない情報がどんどん増えていく、頭の中が片付いてないのはガマンできないので。
使える情報を、狙いすまして、積極的に取りに行く、そういうスタイルにしたいと思います。インフォメーションハンターにオレはなる!ふわっとした肩書きだな。
もし何か良い情報が入ったり、作ったりできたら、日記に書いていこうと思います。