自分の定義

ウクライナ戦争で、ロシアがわざとダーティなやり方をしているのを見ると、何か硬直したものを感じます。

 

自分とはこういうもんだ、ロシアとはこういうもんだ、という決めつけ。

 

この決めつけって、ただの思い込みの類なので、環境の変化からの干渉に対して、本来弱いものです。そもそもそこまで自分の定義を固定しなきゃいけない必然性がないですから。

 

プーチンは自らの破滅よりも、更生することを最も恐れているのかもしれません。今までの自分がとんでもなく愚かになってしまうからです。周りの人はそもそも他人にそこまで興味はないので、本人が気にしてるだけなんですけどね。

 

テレビでチラっとフランスのマクロン大統領が「プーチンを理性的にすることを目標にしている」、みたいなことを言っていましたが、プーチンは「それだけは勘弁してくれ」という感じじゃないかと思います。

 

だから、下手な攻撃よりも、「あなたは悪くない。私たちが応援するから更生していこう?」というお願いが、一番プーチンの心に負荷をかける行動だったりして、とか想像します。

 

私の場合は、自分の事を「欲しい情報を得ると幸せになる人」だと思っていますが、これもずっと固定する必要を感じていません。

 

ただ、情報の海が広すぎて、いまだに進捗率低いので死ぬまでは継続されるだろうな、と思います。ある程度見切ったら、得た情報を基に、新たな指針を得る、みたいな特に苦労の無い普通のストリートを行く感じですね。

 

心の大きい負債を背負い込んだ時、2つのアプローチがあります。

 

①事業規模を拡大し、ガンガン返済していく

②負債と資産の価値の「正負」を逆転させるように動く

 

どっちも、きついですね。基本的にきついんですよ、負債が大きいと。

 

私は①のガンガン返済しましたが、自力だけでは不可能ですね。①が無理なら、②の意図的に悪行する道しかなくなります。

 

こういう、人間の動きって、ナントカ物理法則と似たような数式で、簡単に表せるものだと思います。大した構造の現象じゃないのに、この辺に誰も触れないから、表層の戦争ドンパチでみんながあれこれワイワイゆってるのも、そろそろ卒業したほうがいいよなぁと思います。