娯楽性日記 8/8その④

最近、三橋貴明さんのメルマガをこまめに読んでいます。

 

私の解釈、ある程度の社会通念上の常識(今ある制度ルールは正しくて、長期間継続されるはず、とか)を、固定概念として認めた上での、理論展開であるという解釈をしてみると、読んだときの違和感が少なくなりました。

 

メルマガは三橋さんがメインで書いてらっしゃいますが、他のメンバーの先生もいて、誰が何者なのかよく知らないんですが、とりあえず、書いていることの理路というものをトレースして、「なるほど、そういう意見なのね。確かに一理あるな」という理解はできるようになりました。

 

こういう体験があると、やっぱり外界を改変するより、自分が変わった方が効率いいな、と思います。

 

自分を変えるのは、誰の許可も必要なく、自律的にできますから。英語で言うとフレキシブルでしょうか。

 

他律だと・・・安心をボスに担保してもらう必要があるし、何か問題が発生しても自分が責任を背負おうとは思わないでしょうね。

 

これって何が面白いの?と思ってしまうんですが、やってみると面白いのかもしれませんし(問題の責任を誰かスケープゴートに押しつけて、潰しちゃって、自分の安全が図れたらヨダレが垂れるくらいの至福体験でしょうか?)。

 

面白いだけでは、世界は運営できないのも確かなこと。

 

機能がなきゃいけない。それが無いと安心できない。自分の不安を闇の中に隠して無きにすることができない。

 

それに寄り添って行こう。

 

三橋さんのメルマガを読む、それだけで私はちょっと楽しいです。