娯楽性日記 8/8その③

今回のテーマは、私も今まで、あまり深く考えていなかった「上下関係」と「トップ人材の質」について書きます。

 

人間社会では、物理的によく見られる光景として、組織のトップがろくでもない(マネジメントが下手、又は悪意を持っている)人物である場合、簡単に言うと組織みんなが不幸になるし、組織外の公も被害を受ける、それもかなりインパクトの大きい被害を受ける羽目になります。

 

ロシアのプーチンなど、指導者として一部界隈では名声はあるかもしれませんが、ろくでもない(マネジメントが下手、又は悪意を持っている)人物であることは、自他共に認めるところでしょう。

 

で、こういうトップ人材の判断により、ウクライナは不幸になるし、自国のロシア人でさえも高負荷がかかっています。それもかなり大きい被害です。

 

この例が普遍性があるという根拠としては、トップがろくでもない場合で、かつ、周りを幸せにしている(付加価値を生んでいる)ケースというのを、私がお目にかかったことがないという事実です。

 

もしも「トップがろくでもない→みんな不幸」の因果関係が否定されるような反例があるとするならば、私は「あぁ、ごめんなさい勘違いしていました。考えを改めます」と喜んで反省しますが、実際はどうなんでしょうか。反例はたぶん無いでしょう。

 

この点から、組織にとって、「トップの人材」はとても重要なポイントだぞ、とわかります。

 

これを解釈するにあたり、そもそもなんで組織に「上下関係」があるのん?と疑問が湧きました。

 

なぜか?人間関係がフラットだと、支障があるからです。

 

例えば、組織のみんながおなじ立場で、それぞれ銃を持った場合。

 

みんなが平和主義で、常に機嫌が良かったら、銃を使う機会も無く「その銃のデザインかっこいいね」みたいな話をキャッキャとするかもしれません。

 

しかし、ひとりにたまたま良くないアクシデントがあり、気分を強く害した場合。そうゆうことってよくありますよね。

 

「こうなったのは、○○、全部おまえのせいだ!」とケンカが始まったりします。

 

そこで銃を取り出して、ズドン!殺人事件となりました。

 

その先の展開は、予想するに、収束させるにはけっこう骨が折れて、もっと死人が増える可能性もあるでしょう。

 

このように、みんなの立場・権利がフラットだと、容易に殺し合いが起こるんですね。なるほど~。

 

日本での、日常では、殺し合いは珍しいことですが、原理的には、「人は常に殺し合いをする余地を含んでいる」ということがわかります。

 

ステマティックに対処するならば、その余地を、当然カバーしなくてはいけません。だからこそ、「上下関係のあるシステム」が必要なのだと思います。

 

組織に上下関係がある理由は、「暴力の発動を防ぎ」、「秩序の維持を実現する」ためだとわかりました。

 

で、トップがろくでもないと、「暴力の発動を防ぎ」、「秩序の維持を実現する」ことはできるかもしれませんが、「パワハラなどの精神的な暴力が発生し」、「反社会的な活動で公秩序の破壊」が起こったりして、本末転倒のようなことになります。

 

その意味のないトレード「『物理的暴力』と『精神的暴力』のトレード」「『組織内の秩序の維持と公秩序の破壊』のトレード」をするくらいならば、「そもそもあなたをトップに置かないよ」という結論になります。

 

でも実際、ビッグモーターみたいなわかりやすい例が実際に存在するということは、おそらくこのトレードにも意味があるからでしょうね。

 

ビッグモーターも「直接的に死人は出していないし」「組織内の秩序は維持していた」わけですから。

 

私がとても興味があるのは、このトップに、とてもユニークな性質を持ち、それでいて温厚な人物を適当に据えるというゲームをしてみたいです。

 

トップのユニークな性質に、部下のみんなが、がんばって合わせていき、補っていく、そうやって総力戦をしてみる、という試みに興味があります。

 

まぁ実際にやると、みんな「なんでこんなことしなきゃいけないんだよ」みたいな不満が出るかもしれませんが、「トップ人材がどんな人で、優秀か否か」「それによって自分が利益を供与されるか」だけに関心をはらうのではなく、

 

「1月に酒が飲める飲めるぞー♪」みたいな感じで「総力戦をする口実として、トップにユニークな人を据える」という遊びもあっていいと思います。

 

毛沢東とか、悲惨なことになった歴史もありますが、トップも自分が総力戦の1パーツだという認識を持って、思いやりを持ったら良いと思います。

 

では歯医者にいってきます。