共感のメカニズム

もし前世があるとすれば、私は宇宙人、女性、猫を経験したと思っていますが、残念ながらその記憶は無く、40歳中年男性としての人生しか知りません。

 

まぁ地球人も一種の宇宙人ですが、地球外生命体という意味での宇宙人です。

 

なぜそう思うかというと、私は全くと言っていいほど、共感能力がないからです。精神的暴力にあふれた家庭環境で生き抜く過程で、感情が欠け落ちた面はありますが、思い出すに、保育園児の頃・・・まだ母親が優しかった頃も、私は今と大して変わってないな、と思います。

 

共感能力が無いというと、サイコパスみたいですが、実際は暴力とか嫌いですけど、もし暴力が必要なシーンではきっちり相手を殺そう、という意志もあり、ある程度制御の効いているサイコパスなのかもしれません。

 

基本的に、人は嫌いじゃないですし、友達になれるならなりたい気持ちがあるので友好的な感覚はあるのですが、敵対して、物理的な潰し合いをしよう、「あなたは殺そうとするなら、私に殺される覚悟も持ってるんだね?」と同意があるならば、じゃあお望み通り息の根を止めてあげようか、という切り替えをするだけですね。

 

このように共感能力が無いのですが、私は女性的な感覚というのもあって、女性の気持ちは共感できないんですが、女性の感受性、というのは通じるものがあるなぁと思っています。

 

言葉で表現できないんですが、「前世で女性を経験したことのある、今男性で生きてる奴」みたいな感受性を持っているということです。なんだろうこれ。受け身な感じというか、外部との関わり方が、凸じゃなくて凹なんです。

 

なので、この細い糸口をきっかけにして、共感とは何ぞやということを考えてみました。

 

基本的に女性は横のつながりを大事にします。みんな同じなら、繋がってる感も一層増します。みんな同じで安心だね、めでたしめでたしと行かない所が、この世界、牢獄のルールです。

 

横で繋がって安心の場に、競争原理を持ち込むと、一気に殺伐とし始めます。

 

横だけじゃなくて上方向と下方向が出現するのです。「横で繋がりつつ、上にも行きたい、全員蹴落としてトップに立ちたい」という矛盾を前面に押し出しているような、私からすると難易度が高いゲームになります。

 

このゲームを有利に進めるためのツールが男性です。男性と繋がって、自分の縦方向の立場を担保してもらおう、かつ、男性も溶かして破壊しよう、という一言で言うと「わがままプレイ」が女性ゲームの醍醐味です。

 

この場に「道理」を持ち込んでも、わがままはダメ出しされるわ、横のつながりは断たれるわで、踏んだり蹴ったりです。だから「道理」なんてこのゲームにはあんまり必要ないんですね。

 

でも私の知る限り日本人女性は、ゴツゴツした物質世界にもちゃんと対応して頭使ってるし、賢い女性もいるし、わがままな性質を上手く飼いならしてるなぁと思います。

 

私は女性的な感受性はありますが、男性的な理性を育てていたので、その過程で、どっちが主導権握るかのバチバチの戦争状態を1年くらい継続した経験があります。

 

そのときは、本当に胴体を2分する断絶、ぶつかり合いが起こって、胃の下あたりが常にギリギリと痛んでいました。このまま一生痛みが続くかもしれないと思っていたけど、現在はそういう胃痛は全くないです。

 

女性的な、矛盾を矛盾として扱わない、筋の通ってない様が嫌い!という人もいるかもしれませんが、女性のゲームルール自体がそもそも「はい、矛盾してます!」みたいな主張をしている面白ルールなので、そのルールに対応したら、まぁそうなるなと思います。

 

合理性なんて「地球の」「人間が」「うまくやりくりするための」アイテムにすぎないです。たかが合理性されど合理性・・・少なくとも絶対的なものではないですね。

 

感情が欠落している人は、共感ゲームでは敗者になりがちなので、理にたよったり、逆もありえるし、ちがう者同士いろんな背景で繋がるのは面白いですね。