自衛官の暴発事件について

18歳の自衛官候補生が銃の射撃訓練中に教官に向けて発砲、2名死亡、1名負傷とのニュースを見ました。

 

最近の若い子は、基本的に良い子が多いような印象があります。良い子というのは、「みんなで協力して助け合って行こうね」というスタイルのこと。

 

この良い子が、共感の海に飲まれると、いじめ等を正義とする猛者が正しくて、嫌々でも自分たちはそれに迎合し、従わなければいけないというマインドになると思います。

 

しかし、今回の犯行をした18歳の少年(今だと成人か?)は、自衛隊という地球上の正義を体現することを求められる厳しい職場。

 

自衛隊では、私心を殺し、忍耐強く、地球上での正しさを貫くことが求められるでしょう。

 

つまり、共感の海側と、地球側の相反するルールの間で、「すり潰されて」、精神が限界を迎えたのだと思います。

 

彼の目線で言うと、最初は「良い子」の幼児だった。しかし、共感の海に飲まれ、嫌々ながらもその価値観に順応していった。

 

「そうやって順応したのだから、それなりの対価を得られて当たり前だ」という意識になる。

 

そこで、地球サイドから、厳しい指導という「攻撃」を受けた。「期待していた話と違う」「この教官は、共感の海のルールに照らすと、殺して堕とすべき敵である」、という考え。

 

私も少年の時、別の構造に「すり潰された」経験があるが、まぁ普通なら自死を選ぶような過酷な環境です。

 

共感の海にどっぷり浸かると、当地においては強者でも、地球においては傷つきやすい脆弱性を持ちます。で、地球上も生きるのにかなりハードな環境である。

 

生死の境を無視したフィールドで観ると、彼は地球上で最も危険なエリアに迷い込んでしまった、というのが客観的な解釈になります。

 

共感の海に忠誠を誓うなら、攻撃的なモンスターからの被害は避けられそうですが、地球で生きてる人間が作るコスト高のシステムの運営という重荷が、よりいっそう重くのしかかります。

 

つまり、もし本件に改善の余地があるとすれば、荷を背負う当事者が、どの程度、共感の海にはまっていて、どのくらいの脆弱性を持っているのかを正確に測り、その能力に対して無理のない範囲で、地球上の正義という重荷を背負ってもらうのが適当だった、ということになります。

 

まぁ、今はバチバチやりあってる感じなので、二律背反にすり潰されることも、避けられないでしょう。無理そうなら、「敵」を退治するのではなく、「逃げる」「安全そうな場所を選ぶ」というのがアドバイスになります。

 

今回犯行に及んだ18歳の少年は、その判断が不可能なほど「窒息死」に近い状態になり、必死で酸素を吸おうと引き金を引いた、ということ。

 

その辺が、わかりやすく可視化されてたら、良いんですけど。