娯楽性日記 8/7その③

今回のテーマは「価値の逆転性への対応」です。

 

逆転性という言葉を、初めて使いました。聞いたこともない言葉です。もしかしたら私の造語かもしれません。

 

「価値の逆転」が「あるように見える」から逆転性と言っています。実際には何も逆転していないかもしれません。

 

ひとつ前の日記で、最後の方でこれについて触れたので書いておこうと思います。

 

<価値の逆転が見られるのはどのような場合か>

そもそも価値というものは、人にとって希望の拠り所だったりします。

 

例えば、アスベスト石綿)という建築資材は、断熱や電気絶縁に優れているらしく、とても価値があると認められていたものでした。

 

しかし、これを吸入すると、がんを発症することがわかり、価値はマイナスになりました。有害ということですね。

 

このような価値の逆転は、嫌なものです。一生懸命良かれと思ってやっていたことが、実は他殺行為だったり自殺行為だったりする可能性があるからです。

 

では、どのようなメカニズムでこの逆転が発生するかというと、「情報の遮断」によって起こります。

 

アスベストの件は、当該物質の「人体への影響」の情報が隠されていました。まぁ、無知だったと言っても良いですが、責任の所在はとにかく、「もしも情報が最初から開示されていれば」「誰もアスベストを使用しなかった」はずです。

 

この構造は、人間の情報受信の構造と密接な関係があります。

 

人間には、一定射程の情報受信(光や音やイメージなど)機能がありますが、これらは有限の射程になっています。

 

つまり、射程外のことは「常に見えていない」のです。

 

この見えていないエリアに、必要な情報が隠されている場合は、「常に価値の逆転が起こりうる土壌が整っている」状態になります。

 

例を挙げると、

 

私は、ある能力だけを極端に伸ばして、アンバランスな力を身につけたとします。

 

それはけっこう疲れるので、当初から若いときだけそれを努力して、年を取って衰えたら、楽な方に流れてバランスを取ろう、という計画を立てていました。

 

その計画は予定通りに実行し、現在私は41歳です。

 

ここで、この能力の在り様を、「外部から評価した場合、どんな価値があるの?」と問うとします。

 

外部は、射程外のため、見えません。外部がどんな評価軸を持っているかもわかりません。

 

評価軸のパターンとその評価結果を書くと・・・

■能力バランスが良い方が好ましい

→現在のバランス志向に価値がある

 

■能力バランスはどうでもいいから、とにかく突出した能力があった方が好ましい

→現在のバランス志向は挫折であり、中途半端で価値があまりない

 

■状況によって必要な能力は変わり、常に対応を迫られる

→能力バランスは結果であり、その評価は行なっていない

 

このように、外部の価値観の在り様によって、価値が変動するのです。

 

この状態で、意思決定するのは非常に困難ですので、多くの人は「わからないことはわからないから、わかる範囲で価値を決めていくしかない」と判断していると思います。

 

私も、まぁそれが普通で素直だろうなと思います。

 

私の場合は、この無理を無理のままにするのが嫌だったので、情報処理で補おうとしました。

 

結果的には、技術が稚拙すぎて、成果はあがらなかったのですが、結論としては、「意思決定が不全ならば、自分のやりたいようにやるしかない」というものになりました。

 

「集めた情報を参考にして、不全な意思決定をして、自分の希望を確認して、それを実行して、その責任を自分で取る」というスタイルに落ち着きました。

 

一生懸命がんばっても下手な意思決定しかできないのは残念ですが、この経験を経て、蓄積した知はあるので、やってよかったです。

 

今下手でも、未熟でも、時間があれば誰でも技術はつきます。

 

気長に成長の旅を楽しみます。