理想的な生活

私は、10代の頃、読書などで得られる知識をシャットアウトして、私がすでに持っていた「子供目線の常識的な知識」を素材にして、それらを組み合わせる方法のみで、情報を増やしていく、という培養型情報収集の戦略を取っていました。

 

これによって、普通に生きてたらやらないような頭の使い方を局所的に鍛えることができました。やる気を持って楽しく打ち込んでいました。

 

で、それはそれで成果として良いんですが、もう一つの狙いとしては、自分を実験の「被検体」とみたした場合に、情報を余り与えないことで、その実験的価値を高めるというものがありました。

 

カントとか、相対性理論とか、今も詳細はよくわかりませんが、それをちゃんとインプットしてしまうと、人間は自力でどこまでできるのか、の極限の値を探ることができなくなってしまうからです。

 

他力と自力合わせて、すごく能力上がりました、成果も出せるようになりました、というのは社会的に価値はありますが、「そもそも人間ごときのパフォーマンスなんてたかが知れてるわ」と判断していた私は、「人間1個のポテンシャルの極限はどのくらいか」をある程度高い精度で測定することを目標にしました。

 

この人間1個の潜在能力や、あと耐久能力、これらの情報が揃うと、じゃあ社会としてどのようなデザインが可能か、という意思決定が初めて成立することになります。

 

みんなスーパーマンじゃないんだから無理なことは無理だし、現実的に適切な目標なり指針なりを決める際には、人間1個の性能テストというのは欠かせません。

 

で、私を実験体にして、だいたいわかったんですが、いざ社会を見渡してみると、「そもそも負荷を受けて耐久したくない派」の人が多数だし、社会的立場が上の人たちは、その全国平均を遥かに上回る能力を「賽の河原の運営・維持」につぎ込んでる状況で、私の実験結果の需要が無いという事態になっています。

 

じゃあいいよ、別に頼まれてやってるわけじゃないし、自分で勝手にやってたことだから、と諦めて、理想的な生活について考えてみました。

 

私のように、情報を絞っておくと、年をとっても知らないことがたくさんある、という情報市場における「供給>需要」の構図が発生します。安価で、重要な情報に触れやすい、お得な状態ということです。

 

まだ多分10年くらい生きられるので、とりあえず数学・プログラミングを習得して、残った数年で、遺伝子とかの分野を学ぼうかなと思っています。

 

このように、自分本位の需要と供給のバランスを考えてみると、理想の生活に近づけるなぁと思います。

 

今は、科学技術が発達しているので、それについては乱暴に言うと、学べば誰でも使えます。なので、そのアドバンテージを利用して、まずはあえて不便な、自然に近い原始的な生活をしてみる。

 

昔の農耕生活では、天候や疫病や虫害で、作物が不作で死ぬ、ということも少なくなかったようですが、私の言っている理想的な生活では、それを農薬、設備等で鉄壁ガードします。(お金はかかりますが)

 

めっちゃ安定した、昔ながらの農耕生活というわけです。毎日体を動かして働くのは気持ちが良さそうです。

 

で、しばらくそういう生活してみて、「冷蔵庫欲しいな」となったら、情報ポータルサイトにアクセスして「冷蔵庫の作り方・部品一覧」みたいなページを開いて、自分で情報と材料集めて冷蔵庫つくっちゃう。これは楽しそうだし、完成した時の達成感あるだろうなと思います。

 

このように、文明の利器はいつでも入手できるけど、あえてそれを絞って(制限して)、ひとつひとつの問題解決に喜びを得るような生活が、「私は」好きだし、やってみたいと思います。

 

これをやるとね、おそらくですが、現代の閉塞感を打ち破るアイディアが棚からぼたもち式に出てくると思うんですよね。初心に帰って見ると、今の景色が違って見える。これはなかなか高い確信があります。

 

こういう実験的な生活は、一部地域だけに限定してやることは可能だと思うんです。もし私がイーロンマスクさんくらいのお金があれば、ツイッターを買収しないで、ロケットも火星に飛ばさないで、実験地域を作って被験者募って面白い生活を実験してみたいと思います。

 

トヨタはそういう街を作ってるみたいな話を聞いたことがあります。なんか自動運転自動車がはびこってる街みたいですが、もし実験するなら、いきなり現実的なゴールを目指すんじゃなくて、「これって面白いんじゃない?基準」での実験に徹した方が良いでしょう。

 

だれか500億円くらいくれないかなぁ。