過去の実績

地球では、ウクライナとか、シリアとか、北朝鮮とか、「この世の地獄か?」と思えるような惨状地帯が存在しています。

 

日本にもアメリカにも、一部そういう地域は昔からあり、無念の死を迎えている人は少なくないと思います。

 

こういうのを見ると、「神は本当にいるのか?」と思うのですが、「神がいる」ことと「地獄のような世界がある」ことが両立するパターンがあります。

 

それは、「神がその地獄を安全圏内であると確認済み」である場合です。人間から見える「地獄」は、まだまだぬるいってことですね。

 

そういう事情があるので、人間は多少苦しくても退いていられない、となるわけですが、

 

苦しみの中で生きるには、ある程度準備が必要なのも確かな事です。

 

なにも訓練していない赤子が、地獄に落ちても、ただ苦しむだけです。愛情を与えて、ご飯を与えて、技術を与えて、やっと5分5分の勝負という所でしょうか。

 

虐待死する子供がいるということは、「ただ苦しむだけでもええやん」という発想があることの証左ですが、私はただ苦しむだけはやだなぁと思います。

 

しかし、過去、例えば神は、ただ苦しむだけの世界を経ていると思うので、それでさえも、まだまだぬるい、というのが現実なんでしょう。

 

そのプロセスを辿り学習することは私のひとつの目標ですが、私は準備がある程度整っているので、やろうか、となっているだけで、

 

もし準備不足なら、地上の苦しみだけでももう勘弁、となっているかもしれません。

 

まぁ人間目線でも、昔は普通に生きるだけでも「現代における地獄」のような環境はあったと思うので、その歴史をリピート再生するくらいの準備はしておいた方がいいでしょう。過去の人間ができたんだから、今の人間にもできるはずなので。

 

昔の人は「苦労を避けたい、減らしたい」という気持ちはあったと思いますが、それだけではなく「退かない」という反骨心もあったと思います。

 

現実から逃避するために人が作った「幸せなイメージ」が、現実にあって当たり前であると思い込んだために、そのギャップに殺されるという自爆は悲しいですね。