世界を横から見てみたら

例えば、神がいるとして、宇宙を作って地球に人間を社会生活させているのだから、何らかの目的があると思うのが自然。

 

その目的は複数かもしれないが、とにかく人間社会をデザインするときには「条件1,条件2,条件3,・・・を満たすような形にする。それが満たされれば後はどうでもいい」という感じだと思います。

 

後はどうでもいいと言っても、「人間が観察できる対象」物質とか感情とかについて語ると、それらは人間の精神に影響があるため、細部まで設計思想が行き届いていると思います。アジア人の肌の色が黄色であるのにも意味があるし、体を切断されると強い刺激があるのにも意味があるのでしょう。

 

で、神が求める条件はクリアするとして、今度は人間がどのような条件を満たしたいか、という問題に直面します。

 

神の求める条件+人間の求める条件、単純に複合させると、より達成難易度が高くなります。人間にそれができるかというと、普通に考えたらできないですね。匙を投げるのが自然な行動になります。

 

牢獄に入って、脱出できないと悟った囚人は、「牢獄の中という劣悪な環境の中で、より幸せになろう」という発想をします。そのために同じ立場の囚人同士に上下関係を作って不平等を作り出して利益を得よう、とかいろいろ工夫するわけです。

 

それはそれで、神がそれを誘導している可能性はありますが、ここは「人間にとって何をするのがいいのか?」という論点なので、神うんぬんは置いておいて、人間にとっては自然な努力の姿勢だと思います。他にどうしようもないからですけど。

 

というわけで、やっぱり上下関係は強いルールですね。上下関係が強い国は、インドがあります。今、世界はコロナや、戦火、経済問題で荒れた天候となっていますが、その影響を受けにくいのは、カースト制を生んだヒンドゥー教国インドだと思います。

 

ググってみると、現在は一部の農村部を除いて、カースト制は実質的にも薄れてきているようですが、その身分制を生んだ、つまりカースト制の必要性を理解していたという点で、インドは潜在能力的に耐性の強い国だと思います。

 

日本も、身分制度を導入した方がいいような気がします。正社員・非正規社員という、根拠(会社の給与体系)が脆弱な身分差ではなく、身分差を明文化して、「あなたはバラモン」「あなたはシュードラ」と決めて、それを国がちゃんと担保する、ということです。

 

それを決めたら、脅迫観念にさらされながら自分の地位を上げるために無駄な労力を費やす、ということが減るでしょう。

 

そんで、「バラモン」は良いバラモンになろう、「シュードラ」は良いシュードラになろう、と、役割分担が明確になり、それぞれの地位の人々が「自分の役目」を意識するようになると思うんですよね。

 

日本の士農工商、も目的は「役割分担」で、身分に序列をつけたのは国の「投資判断」でしょう。身分ごとの待遇差というのは、あってもいいです。その投資判断によって、トータルで利益が上がるようであれば、「身分間の利害対立、不満不平」はそれほど高まらないと思います。

 

インドが強そうですね、インドは中国と仲悪いので、今後の長期的軍事的なホットスポットはインド・中国の国境付近になるでしょう。