A diary 9/2

法治国家を疑ってみる。

 

疑ってみるというのは、実存する法治国家に対して不信感を抱くことではなく、私の(あるいは他の人の)頭の中の「法治国家の概念そのもの」に「根拠の無い、ボロい建て付け」が無いかチェックするということです。

 

これができないと、自分の固定観念に殺されることがありうるので、私にとって疑うことは生きる上で大事なことです。

 

法治国家とは「法」と「国家」の融合の構造です。

 

「国家」とは、権力をひとまとめにする「力強い流れ」です。

 

有限の資源の奪い合いを必ずする人間にとっては、「小さな流れ」同士が必ず相克してしまいます。大局を見るだけの実質的な余裕がない場合は「目の前の相手から富を奪わなくてはいけない」という認知をすることが必然となるからです。

 

実際には、大きな流れに従った方が、「はるかに楽」だし、「争いによって無駄に消耗することがない」ので、戦争に疲弊していくと天下統一の方がメリットがあります。

 

しかし、「争いが元気で楽しくできる」とか「殺し合い行為に依存する構造がある」とかの場合は、天下統一はされずに内戦が続いたりします。

 

国家は、戦争疲れの需要に応える「力強い流れ」であり、平和が達成されていても、常に「小さい弱い流れ」を力づくで、吸収するというミッションを負っています。常にある種の政治的暴力を振るい続けなくてはいけない縛りがあるということです。

 

他方、「法」についてはどうでしょうか。

 

法とは、ルールであり、ルールとは「利害調整装置」です。

 

誰かを贔屓したり、有利にしたり、あるいは搾取したり、負荷をかけたり、利害の濃淡を調整することができます。

 

逆に言うと、ルールは、人にとっての価値を生むことはできません。

 

「人にとっての価値」を生む主体は「本人」であり、「他人」や「自然界」と利害関係取引をした結果、価値が生まれることがあります。

 

この利害関係取引に、ルールが用いられるので、例えば新たな政策などが価値創出に関与しているように見えますが、価値は「自分と他者」or「自分と自然界」との取引のみによって生まれるのであって、ルールはそのバランス取りしかできない「補助役」みたいな存在です。

 

なので、もし例えば経済を立て直そうという志向を政治家が持つのであれば、まず「ルールを作ろう、ルールをいじろう」ではなく、「みなさんお願いです、主体的に、他者や自然環境とこういう取引をしてください」という方針を打ち出すことが必要になってきます。

 

「その営みが公平に、効果的に行われるように、ルール(法律)を整備して補助します」というのが正しい姿勢です。正しいというかこれ以外の方法があり得ません。

 

よって、法は、「利害関係の調整役である」です。

 

この「法」と「国家」をドッキングするとどうなるか、というと

 

政治を法で縛って、「為政者(一部の権力保有者)が過度に利することがないようにバランスを取る」ようになっています。

 

私はこの「政治を法で縛る」っていう常識が、当たり前のようで、当たり前ではないのではないかと疑っています。

 

法は、「民間-民間」同士のバランス取りだけでいいんじゃないか?と思っているからです。

 

というのも、例えば現状のように、「法で政治家を縛って、国民から富を過度に搾取しないようにしよう」となっていても、「ハナからそういうある種の悪意を持って権力保有者になった者は、法の縛りがあろうと、なかろうと、国民から搾取するだろう」と私は思っています。

 

法が、国家を縛るためのツールとして使用されていることに違和感があるんです。

 

もちろん、「ウチは法治国家ですよ」「法に従って国の運営しますよ」という意思表明があれば「国際社会」では信用を得やすいでしょうね。

 

貿易とか、国際社会での商取引においても、「国が法に従ってしか動かない」という保証は有利な条件として機能します。

 

だからこそ、今、先進国は軒並み法治国家になっている、のだと思います。それはそれで良いと思います。

 

ただ、法にはそもそも「為政者」を実効的に縛るだけのポテンシャルは無いと思うので、例えばプーチンに「法を守れ」という主張をしても、空回る、コアを突いていない感じになると思います。

 

地球に国家が存在する限り、「力強い流れ」は必然的に生まれるし、それはつまり「権力保有者」が生まれるということです。

 

その「権力保有者」を「法で縛ろう」、ではなくて「全く違ったアプローチで、干渉しよう」というのが次世代の国家の形だと思います。

 

「全く違ったアプローチ」をする主体がなんなのか、国民が主体になるのか、あるいは独立した機関が主体となるのか、AIなのか、まだわかりませんが、

 

おそらく「IT」を活用した、新しい形の権力保有者へのアプローチ、干渉が必ず発生してくるだろうなと思います。

 

ITってことは、AIも入ってくるでしょう。

 

AIを頂点とした、世界意志決定機関、みたいな形が一番現実的かもしれません。