これは単なるアイディア・・・というか私も採用している考え方です。
例えば、地球でなんか事件が起こった、となると
「管理者からそういう操作があったんだな」みたいに解釈したり
「結局は予定調和になるんだろうな」みたいに「ヤラセ」みたいに思う人もいるかもしれません。
舞台裏にスタッフがいて、演劇が行われている。
「我々は舞台を見ている観客なんだ」
だからこそ「オレに良い演劇見せろよ!」「楽しませてくれよ!」と思うのは無理も無いかなと思います。
ここで「もしも」、
管理者(裏方スタッフ)なんていなくて、そもそもヤラセの演劇でもなくて、
「宇宙の中の、本番環境だとしたら」
あなたはどうするでしょうか?
ヤラセ無し条件で、
「もしも自分が治めている国に、コロナ病が流行したらどうする?」
「もしも隣国が軍事力をもって領土を拡大しようとしていたらどうする?」
「目の前の乞食の人が、金銭援助を求めてきたらどうする?」
「わけも分からない宇宙人(イスラエル人とか)がアクセスしてきたらどうする?」
それらの「どうする?」に対して、きっちり「私はこうする」という芯がないと、
ただの「クレクレわがままっ子」になってしまう可能性が高いですね。
「もしも眼前の世界が本番環境だったら、私はこうする」という「芯」があれば、
管理者は「じゃあこれならどうだ?」と対応してきます。
そのキャッチボールの連続ですよ。
「平和でもクレクレ」
「戦争時でもクレクレ」
「宇宙人がアクセスしてきてもクレクレ」
では、「そのような存在」としか見なされず、何も期待されたり、仕事を任せられたり、する機会は失われるでしょう。
今の眼前の世界が、もしも、管理者不在の本番環境(あなたが主役の現場)だったと仮定したら、あなたはどうするでしょうか?
それに対して何らかの答えを持つと、話が前に進むので、私は嬉しいです。
おわり