けっこう干渉というか、感受面への強力な流れが効いている場合、
基本的にそれに流される(例えば「あいつらに勝たなきゃいけない」とか)のは、
「大人しくて」好ましいという面があると思うので、肯定も否定もしないですが、
結局、自分を救うには、「客観的に見て、自分がこうなる」という見方をしないと、可能性が低くなると思います。
しかし、その抵抗というか、あがきのようなものが、
丸っと流されて、無力化されている、という状況下であるならば、
「流されるにしても」
「その枠内で、自分なりに楽しみながら工夫しよう」
「誰にでもできることではなく、自分だからこそ味付けできる、スパイスを効かせよう」
→「それを客観的に見て貰って、良い評価を得よう」
と言う感じで、それを「あがき」としてやっていく、ってのが良いと思います。
良いと思いますというか、私ならそうします。
というだけです。
おわり