6月になりました。通常営業していこう~。
私は意志決定が大事だと思っています。
私は麻雀が下手で、麻雀ゲームにおける意志決定がヨワヨワです。
「弱い意志決定、下手な打牌」とは何かというと、
・自分の理想的なアガリを拒否するような打牌
・積極的な放銃をするような打牌
です。麻雀ゲームにおいて「勝ち(1着)」を狙っているのにも関わらず、「自ら進んで負けにいく」ような行動を実際に取っていました。
その時の心理は何かというと、
・ギリギリの綱渡りの勝負はストレスフルだな
・自分の安心を追えれば放銃してもいいや(そんな自分が勝てたら良いな=自己肯定したいな)
という心境なんです。
理性的に、こういうプログラムコードを吐いているのではなくて、そういう「心持ち」を、言語化するとこうである、ということです。
これは、私が「麻雀が実際に弱い」から、わかることです。
で、意志決定の基本に立ち返ると、麻雀であるならば「1着を取るために最も効率の良い打牌をするべきだ」が正しくなります。当たり前ですね。
分かれ道「A」or「B」の前に立って、より優れた判断(例えば「道Aに行く」)を採用する。その判断を積み重ねていく、というのが「普通の形」の意志決定です。
しかし、意志決定が上手くできない、間違った方ばっかり行ってしまう人は、この「普通の形」が崩れているのだと思います。
そもそも「A」or「B」?という問いが、テーブルの上にあがっていない。
「B」を怖いと思う→(ノータイムで)「A」しかない
というような形でしょう。
つまり、精神物理的に不可抗力的な面があり、「無思考のすっとばし、直感的選好によって」意志決定の枠組みからして成立していない。
私は勘違いをしていて、多くの人は「A」or「B」の意志決定の枠組みはあるけど、「その精度が低い」と思い込んでいました。
だって、箸で取ったご飯を、「おでこ」ではなく「口の中」に運ぶことはできているのだから。「おでこ」or「口の中」の意志決定はできているという評価です。
しかし、他の多くの「大事な意志決定の場面」においては、
「B」は怖いから、「A」一択である。
そして、その判断は「正当であってほしい・そうでないと困る」し、「その判断に係る不利益は、自分の責任ではないはずだ」という願望に流される形になるケースがあるということに気づきました。
そうなってくると、もはや判断についての責任能力が無いってことなので、「よく考えて意志決定ちゃんとやろうよ!」というのは無理筋になります。
というここまでの情報を書いてみて、
とりあえず、この日記を読んだ人が、「そういうこともあるんだなぁ」という現実認識をして、
自分のことを客観視して、「何がどう弱いのか」について、正確に把握できたなら、私はよかったなぁと思います。
「弱いのを強くする」ということは現時点ではまったく求めません。
それ以前に「自分が何やってるのか」知るという手順を踏むことが、大事だろうなぁと思っています。
おわり