私にとって勝算の無い日記書きを、続けないと「面白くない」という声があったので、日記を再開します。
その時その時で、状況がコロコロ変わります。
負けるとわかってるけど、大負けしなければいいし、リカバリーすればいいので、まぁいいや、と思って書いています。
でも、今後はあんまりメッセージ性をもった日記というよりも、「ただ言葉が漏れてる」みたいな、自然の風景の一部みたいな扱いでやろうと思います。
-----
まず私は、感情のことが少し理解できたけど、
基本的に感情を「海」だとすると、人格の大部分は「空」にいます。
空に飛んでいるカラスとか、ハエみたいなもんだと思って貰って差し支えありません。
で、感情が無いわけではありませんが、とても薄く、弱いです。
だから、「イライラしている時も」「喜ぶときも」、その程度が比較的薄いので、「ふんふーん♫」と通常営業状態です。
しかし、世の中には、「海」の住人の方もたくさんいて、
重しをつけられて、海の底で苦しい思いをしていて、どうにかして助かろうと、上昇しようと努力している場合もあるでしょう。
場合もあるでしょうというか、それがメジャーなんでしょう。
私も重しをつけられたことがあり、感情が沈んだこともありますが、
結局、「そこは問題にしていないから」あまり意に介さずといった所です。
で、ここで進路に分岐があるのですが、
①海の中で、敵対綱引きゲームに没頭する
②海の中の競争・闘いから、脱する(→陸上 or →空)
っていうのがあって、
結局、それぞれの人が「どうしたいの?」ってところが重要になってきます。
おそらく、①の人もたくさんいると思うんですよ。
デモ活動して、政府とかの運営側と綱引きしたい!とか
ブラック企業で、従業員を奴隷みたいに使い倒して金儲けしたい!とか
海の中は、基本的に「みんなと繋がってる」状態ですから、
それが満たせれば、例え闘いが多少ハードボイルドでも、「楽しいよ、やりがいあるよ!」
っていうケース。
そういう人に対しては、私は特に注文は無く、「楽しいならなによりです。今まで通り健闘を祈ります」と声をかけるくらいですね。
ただ、それ(綱引き)にそもそも興味ない人もいるだろうし、綱引きで負けが込むと言うことは、かなりの苦痛だと思うので、
②の「脱したい」人も、中にはいるだろうと思います。
②を選ぶ、つまり「陸に上がる」か「空に行くか」を選ぶのであれば、
「陸」コースは、権力獲得コースですね。私はあんまり興味ないしよくわかりません。
「空」コースであるならば、以下のような方法で脱出できますよと言えます。
■脱出方法:準備が整っている補欠選手になる
例えばブラック企業とかで、めちゃくちゃ抑圧されてます、という場合。
とりあえず、その環境・条件を受け入れます。
もう限界近くて、受け入れられない場合は、逃げたほうが(退職した方が)いいです。
で、結局、どこの会社行っても、何らかの搾取構造とか、そういうのばっかりでしょう。
その搾取してる大魔王みたいな偉ぶってる人たちとの綱引きゲームはしないで、
その搾取構造をいったん受け入れます。
「よし、なかなかに苦しいな」「これで行くか」と決めるのです。
この状態とは、「自分は補欠選手」であるという認識に近いです。
世間で花開いてない、くすぶってる、「負け組」のような状態。
それを拒否して、「(他人を踏み台にして)勝ちに行く」というのではなく、
いったん負け組であることを飲む。そこをスタートラインにして付く、ということです。
で、ここから脱出を図ります。
そのスタートラインについたら、今度は「自分はどうしたいんだ?」と問います。
空では「独りの自分」がないと・・・言い換えると、「自分と他人を切り離すカードが切れないと」飛べません。
これが嫌だったら、空は諦めた方が良いと思います。
なので、「自分はどうしたいんだ?」という問いが重要なのです。
他の人がどうしたいのか私は知らないのですが、
例えば、「のほほ~んと趣味を楽しんで生きたい」とか。
それって本当にそう願っているでしょうか?
「それを一生やり続ける人生で、本当に満足か?」という確認をよくします。
で、「こういう条件を満たした人生ならば、満足だ!」というのがわかったら、
「そういう願いを持っているのが自分なんだ!」と決め込みます。
その「自分が」空に飛ぶのです。
で、目標というか、パーパスが特定したら、
そのパーパスに基づいて、「くすぶってる状態で、工夫を凝らします」
くすぶってる状態を、ひっくり返して大逆転しようとする必要はありません。
あなたのパーパスに基づいて、戦略を練って、くすぶり続ける中で、「仕事の仕方」や「日々の生活」を工夫するようなベクトルに進むのです。
これが、いわゆる「俯瞰」状態となり、感情の綱引きゲームからの脱出とイコールの作用を持ちます。
で、その工夫を続けて、努力して「力をつけていく」ことが、
「補欠選手として準備を整える」ことになります。
「いつでも、大舞台で行けますよ!」という「力溜め」の準備ですね。
人間としては、ここまでやれば十分です。あとはチャンスを与えられるのを待ちましょう。
「補欠選手である」こと、つまり「花開いてない状態」はまったく悪くありません。
あえて悪いのは、「補欠だからって、手を抜いて準備を怠ること」です。
(※まぁ一般的には手を抜くのも自由ですが)
補欠だろうが、なんだろうが、
自分の望みを叶えるために、十分な準備をする、「あとは機会待ち」の状況まで持って行く、
それが大事です。
それができて、あとは・・・「それで十分なんだ」とわかれば、
感情の海から空への脱出は、ほとんど成功だと思います。
私はニートで、全然花開いてないですが、
「補欠選手として準備は万端なので」「これでいいかな」と思っています。
準備が整った補欠選手だらけの世界・・・
それは、「より良い世界への移行に王手している状態」でもあります。
私は信じて、その水面下の準備が整うのを期待しています。
おわり