人との関わりにおいては、私はとても未熟です。
最近わかったことは、相手との勝ち負けの関係性(いわゆるマウント取りのような関係性)だけではなく、
「あなたとわたし、共に前進しよう」っていうウインウインの関係性を重視すると、円滑なコミュニケーションに成るとわかりました。
でもそもそも、世の中には色んな人がいますから、
「相手との勝ち負け関係性オンリー縛り」のハードゲームをしている人もいるでしょう。
その人にとっては「両者とも勝ち」っていうのがあり得ないのだと思います。
だって、嬉しくなるのは「勝ったとき」「相手を負かしたとき」だけだから。
もしも「両者とも勝ち」を認めてしまうと、
「いままでのオレの努力や苦しみなんだったの?」
「両者とも勝ち?そんなのアリかよ」
「それを認めてしまったら『オレは負けてるってことじゃん』!」
→「それは受け入れられない」
という牢獄が見えます。
だから、無理矢理、牢屋の鍵をぶちこわすようなことは、どうかな、と思います。
例えば、アパートの知らない隣人との仕切りの壁をぶちこわして、
「これでひとつの部屋(ルール)!ハイ~っ!」
ってやったら、
その隣人は「なんだ?攻撃してきやがった」「こいつらオレに勝とうとしてるな!?」
ってなるから
原則的には、「混じり合わない」「精神的な壁がある」っていう認識が穏便だと思います。
私は日記で素の自分を出していますから、けっこう高圧的なことも書きますが、
おそらくそういう態度を「攻撃」とみなしているケースもあるでしょう。
ただ、私は「すべてはありのままにあるだけ」ルールなので、
実は私の言葉は「ただの自然風景」だと思って頂けたら幸いです。
で、世の中には、例えばキングコング西野さんのラジオ切り抜きとかあったら聴いてみてるんですけど、
ホワイトなビジネス環境にいらっしゃるようで、
「あなたとわたしウインウインで共に前進しようね」「その輪を広げて面白いことしよう」
ってテンションでいるようです。
なるほど、これが健全なコミュニケーションか、と発見がありました。
私は、いままで「あなたとわたしウインウイン」というよりも
「わたしは前進するけど、あなたはどう?うまくやってる?」
「『知らんけど(あなたのことはあなたに任せるけど)』『上手く行くと良いね』」
って感じで、ややネグレクトな親みたいな関係性を好んでいました。
放っておく、離れていても、どっかできっとがんばってるだろう、みたいな。
つまり、「関係性ゼロ」だったんですね。さみしい人ってことです。
でも「孤独」で泣いたらまずいという状況もあるので、それで良いと思っていますが。
それだけじゃなくて、「あなたとわたしウインウイン」の関係性も、できたらいいな、と思っています。
「ウインウイン」にするにはどうすればいいのか?考えてみると
「とりあえず否定はしない」「相手の現時点を尊重してあげる」
ってことだと思いました。
で、そのあと「両者が前進する」ってことなので、
どういうプロセスでそれが成るかわからないんですけど、
どっちかが、リードするんでしょうかね?
船頭が2人いて、どこに向かってるのかよくわかりません。
そもそも、相手とわたしでは、向かっている方向性が違う場合の方が確率的に多いと思います。
おそらく、ウインウイン関係の形成においては、「相手を選んで」「似たような方向性の人とだけペアを組んで」っていう条件が付くのだと思います。
私は、ちょっと変な人なので(自閉症傾向があるし)、
自分と似たような方向性の人を、見たことも会ったこともないんですよね。
歴史上の人物だと、老子さんとか、ヴイトゲンシュタインさんとか、カントさんとかに近いものを感じます。
でも会ったこと無いので、実際には似てないかもしれません。
とりあえず、パートナーの女性とは、「いっしょに楽しもう(それを日々の癒やしにしよう)」って方向性で、一致はしてますけど、
相手と、方向性の完全マッチは無理でも、
「この方向性なら同じ」っていう共通点を見つけて、コンピューターっぽくいうと「互換性を持たせる」って感じになるんでしょうね。
例えばトラックゲームが好き(トラック運転に憧れてる)っていう方向性に限って、ウインウインを目指す、とか。
こうやって、友達作ればよかったんだ、と腑に落ちました。
まぁ過去にはカラオケ繋がりで友人もいましたが、
その時はウインウインというよりも、好き勝手にやってた自己中人間でしたね。
友達いなくてもいいんですけど、
そういう健全なコミュニケーションが「できない」っていうのは欠点だと思うので、
まぁ、もはや機会を失ってるかもしれませんが、
「保留している宿題」みたいな感じで、生きてる間にできたらいいな、と思います。
おわり