新たなるやさしさ

私は今まで、やさしさと言えば、何か支援したり、喜ばしたり、人に「うれしいもの・こと」をプレゼントすることだと思っていました。

 

しかし、それだけがやさしさじゃないぞ、と思いました。

 

それは、「相手のやってるゲームの難易度を下げてあげること」です。

 

例えば、「嫌なことがあって、イライラして、道端のゴミ箱を蹴飛ばしてる人」がいたとして、

 

その人に対して、「ちょっと一旦落ち着いてみて。そういう嫌なことがあった場合はこうした方がいいよ」とアドバイスするのは、ある意味やさしさのある行動ですが、

 

これは、前提として、『「人としてまっとうな道を歩む」という(堅苦しくて難易度の高い)ゲームに君は参加していることを自覚しないといけないよ』という、厳しさも孕んでいるのです。

 

「いや、アドバイスの内容云々より、そもそもそのハードゲームがきつくてやってられないんだけど」

 

という人だったら、そういう人がゴミ箱を蹴飛ばしていたら、

 

単純に、その人にとってはアドバイスは嬉しくないだろうと思います。

 

だから、「ゲームの難易度を下げてあげる」というタイプのやさしさを発揮するのであれば、

 

「なんか嫌なことでもあったの?オレの大麻やるから吸えよ、それより今日はあの店で酒飲んで騒ごうぜ」

 

というのがやさしい行動になるのだと思います。

 

「オレの大麻やるから吸えよ」だと、コンプライアンスに引っかかるので、言い換えると、

 

「あなたは、ちゃんと通常運転できてるよ。私もあなたと同じように辛いけど、一緒にがんばろうな!」というメッセージですね。

 

これは、能登地震被災に対する支援にも同じ事が言えるな、と思いました。

 

私は「寄付金ペイ、これでわずかでも一助になっただろう(やさしくできたな!)」と納得していたのですが、

 

現在避難されている人達の、今、課されているゲームの難易度を下げてあげるやさしさについては、十分じゃないなぁと思い直しました。

 

避難生活の中では、不自由だし、物も設備も無いし、できることが限られてます。

 

なので、「彼らが達成しなければいけないハードル」を、ダダ下げして、「ただそこに生きてるだけで十分だ、通常運転できてるよ。一緒にがんばろう」

 

という軸での支援とか、ルール設定をするのが、「特にやさしい」んだろうなぁと思いました。

 

私は前の日記で、「被災者の方々のミッションは、健康を維持して生き残ること」と書きました。

 

無意識的に、ゲームのハードルを下げてミッションの設定をしていたので、方向性は悪くないと思いましたが、

 

やっぱり、「避難生活は異常事態だ」という認識があるのは事実です。

 

「避難生活が異常」で、「普通の生活が通常運転」だという前提を押しつけてしまうと、

 

現在避難している方々のほとんどが、「普通の生活」を目指しての走り高跳びゲームをしなきゃいけなくなります。

 

それだと難易度が高すぎるので、

 

「生活環境は苦しいけど、あなたたちは、生きてるだけで十分、通常運転できてるよ、それで問題ないんだよ」という難易度下げ行動がいいなぁと思いました。

 

もちろん、避難民の方々が普通の生活ができるように、走り高跳びを支える支援というのは必要です。

 

ただ、その走り高跳び支援ゲームの当事者は、避難民の方々ではなく、安全で力のある他の周りの人間です。

 

それは縁の下の力持ちとして、各関係者さんたちが、めちゃがんばってると思うので、それもできてると思います。

 

さらに一歩進んで、特にやさしくするために、「直接的な支援」だけではなくて、「ゲーム難易度を下げる効果のある間接的な支援」という軸を導入してくれると嬉しいです。

 

具体的には、

 

「毎日の軽い運動を、音楽つけて、楽しくやる」とか。

 

「先の見通し、スケジュールを伝えて、みんなで目標を共有する」とか。

 

「生活の中での、些細なこだわりや、些細な好き嫌いなど、細部の問題を工夫してすべて解決する」とか。

 

これは気配りという概念ではなく、ゲーム難易度を下げるというミッションと捉えた方が良いと思います。

 

こういう考え方があるということを、広く伝わると嬉しいなぁと思います。