ズレの扱い方

宇宙かそれ以上に大きな「存在ALL」があるとして、

 

そこには何らかの理が貫いています。

 

その理を運用しているシステムが、ある時には温かい安らぎをもたらしたり、ある時には暴力的な負担を強いたりしています。

 

じゃあ、「できるだけ長い期間、高い水準で安らぎたい」と思ったとき、そのシステムの理に照らして「安らげる対象者」のモデルを理想として想定するでしょう。

 

ただ、「その願望を持っている人」と、「理想モデル」がズレていることがありえます。

 

だからこそ、「評価基準がよくわからないけど」「考え方・行動の間違いを減らして」「理想モデルに近づいていこう」→「そうすれば、たくさん安らげる」

 

という発想をしている人は多いのか少ないのかわかりませんが、例えば私の父親はナチュラルにそういう発想をしているようです。

 

「理想的なモデルに近づけば(ズレをなくせば)、うまくいく」

 

という、当たり前のようで当たり前じゃないルールがあると信じているようです。

 

ズレというのは面白いもので、

 

もし、人間のような生命に対しても、存在ALLシステムの要請によってズレをなくすように働きかけられるのであれば、

 

人間を「機械人形」のようにデザインして、ズレをなくせばいいだけです。

 

実際、そうなっているかもしれませんが、私の体感としては、やっぱりズレがあるな、物理的な制限や自由意志によるズレは起こってるな、と解釈しています。

 

ズレてると、例えば「お互い違う(ズレのある)存在同士なのに、同じ理が貫いている」という発見があると、「面白い!」となったりします。

 

逆に言うとわかりやすいですが「お互い同じ理が貫いてるのに、ズレがある」です。

 

これは面白いエンターテイメントですし、研究対象としても有用です。

 

「なんでそうなっちゃったの?」という驚きと喜びがあります。

 

だって、自分が理に沿っていて、究極に近いくらいの正しさがあるはずなのに、それとは異なる別解答がちゃんと存在していること自体、「ははっ!なんで?」となるからです。

 

だから、「存在ALL」の標榜する理想モデルと、人間である私にズレがあることは、特に問題ないというか、「そういう風に作っている」というだけで、悲観するようなことではありません。

 

「自分が苦しい理由は、きっと何か間違っているからだ」という、素朴な発想をするよりも、

 

「ズレててもいいから、存在ALLと同じ方向を向いて生きよう」と思った方が、精度は高いと思います。

 

ただ「『存在ALLと同じ方向を向いて生きる』というのが具体的にどうゆうことなのか?という疑問があると思います。

 

条件としては

・信じて

・許して(受け入れて)

・戦う

 

こんな感じですかね。

 

なぜ、これが条件になるかというと、存在ALLがそうだからですね。

 

今、信じていますか?ALLは今信じています。

 

今、受け入れていますか?ALLは今許して(受け入れて)います。

 

今、戦っていますか?ALLは今戦っています。

 

それができたら、ズレてても、たぶん大丈夫です。

 

他方、「止めた方が賢明だ」という事については、

 

例えば「ズレを無くして、理想モデルに近づき、たくさん安らぎを得よう」

 

などの、人間が好きそうな「素朴な世界観」を信じて行動することです。

 

素朴な世界観というと、社会で生きていたら普通に持つものだし、私も「ごはん食べて遊んで寝て、家族と仲良くしてたら幸せだ」とかいう世界観を持っています。

 

が、このような世界観、というか、「手作り」の「ちゃちな世界観」を信じるのは、

 

存在ALLに背を向けて爆走するのに等しいので、

 

おそらく「ちょっと邪魔すんなよ!」と張り手が飛んでくるのが自然でしょうね。

 

私は今、とても安らいでいますが、

 

ちょっとさぼって遊んでいるだけであって、何の仕事にもなっていないことを自覚しています。

 

つまり、やることやらないと、自分の目的は達成できないということです。

 

イージーな世界観は捨てなくてもいいけど、ちょっと薄めて、ALLと同じ方向を向いてみるといいでしょう。