視野を広げたかと思ったら、実は狭い視野で暴れてるだけの存在だった。
自然界の理に精通したと思ったら、その理はイージーなやさしい理だった。
ひとつのまとまりのある統合体の中の、一つの細胞のように、機械の部品のように、大いなる意思にとって都合のよいように、すべては決定されているかもしれない。
しかし、同時に、それはたまたま偶然そうなっている。
それらが同時に共存しうる、なんでもありの世界がある。
たまたま、偶然そうなってるかもしれない。それが「決定論」ではなく「決定偶然」
私は、自らの「言の葉」につかまり、なんでもありの世界を漂う。
未来は何が起こるかわからない。
そうゆうこともあるよね、とため息をつくこともあるし、
嬉しさに輝くこともあるかもしれない。
消えるそのときまで。