娯楽性日記 8/1その②

ヤフーニュースの記事で面白いものを読みました。

 

精神科医の堀さんという方が書いた記事で、「昔から変わらない日本人『最大の欠点』の正体」というタイトルでした。

 

堀さん曰く、日本人の特徴を分析する際の、おおざっぱな切り口として、「書き言葉を好むかと話し言葉を好むか」がスタートとしては妥当ではないか、とのことです。

 

・書き言葉とは、それが語られる場所に限らず、永続的に良い効果を持つ「ルール」などを示した言葉。

 

話し言葉とは、刹那的に、良い効果をもたらすための「印象」を与えるような言葉。

 

みたいな意味で、日本人は伝統的に、語られている言葉(ルール)ではなく、誰が語った言葉であるか(どのような印象を受けるか)に対して従う習慣がある、とのことです。

 

ふむふむ、私は今まで自分と同じ考えの人間を見たことがないので、なるほど、よく知らないけど日本人の人は堅苦しいルールに従うよりも、なあなあを好む感じはあるなぁと思いました。

 

自然科学の手法を信仰する、研究者の方であれば、話し言葉は普段仕事では使わないでしょうし、永続的に意味があるような書き言葉を追求されているのでしょう。

 

私は、前からもっぱら話し言葉ですね。できるだけ永続的な要素も求めますが、それってちょっと難しいので、避けています。

 

で、「今の」私の考えでいくと、書き言葉だと、難易度が高いというだけでなく、構造的に無理があるな、と思っています。

 

その構造とは、「人のあらゆるアクションが大雑把で荒すぎる」ことです。

 

マクロとミクロの中間で、人間は生きていて、普段生活しているときにダニくんの様子はほとんど目に入っていません。

 

で、そんな感じの視野レベルで、床をドンドン足で踏みつけながら普通に歩いたりするわけです。

 

大雑把すぎますね。

 

例えば、「健康を維持するためには、早寝・早起きの習慣を身につけるのが正しい」という書き言葉があったとします。

 

これはまぁ、大雑把な視野でいうと、正しいです。

 

しかし、もしも風邪をひいている時だったらどうでしょうか。風邪の時は、早寝した後、早起きしないで、ずっと昼頃まで寝てた方がいい場合もあります。

 

あるいは、自分が夜勤の仕事をしていた場合は、もちろん普通の人とは昼夜逆転になりますね。

 

そしてさらに、一言で寝るといっても、同じ睡眠は存在しないので、How to の質が常に問われることになります。早寝早起きが十分条件であるとは限らない。

 

なので、時と場合によって、又は、ミクロ視野まで含めると、「0、1」の大雑把な言葉では精度高く語ることは不可能になります。

 

ちゃんとやろうとすると「01」ではなく「000010101010010100101010010100111」みたいな書き言葉になるということです。

 

○×クイズの、回答ボタンの幅が1ナノメートルしかなくて、人間の大きな指で大雑把に押しても正解を回答できない状況と同じ事です。

 

これはとても難しいし、精度の高い書き言葉はおそらくかなりの長文にもなってしまうので、運用がしんどいです。

 

ただ、そのコストがわかった上で、書き言葉を完成させたいという熱意があるならば、そのチャレンジを否定するつもりはないので、やってみたら十分な意義があるかもしれないですね。

 

私は、刹那的に話し言葉を紡いで、前ゆってたことと今ゆってること全然違うじゃん、ブレてるじゃん、みたいなことも起こると思います。

 

私のスタンスとしては、「私はどうせ荒い視野で大雑把なアクションしかできないんだから、できないなりに、今と向き合って、その時々で自分の技術の範囲内で、ベストに近いことをやっていこう」って感じです。

 

又、荒い視野しかないんだからといって、ずっとそのままで良いとも思っていません。少なくとも今は、その状況を受けますが、原則的に、細かいミクロまで見て、ダニくんの状況を把握した上で、判断した方が良いに決まっています。

 

遠い将来的には、今のような大雑把からは卒業することになるでしょう。