今回は、当たり障りがあるかもしれないが、自分の興味のあるトピックについて書きます。そのテーマは「雇用」です。
前の日記で、AIが人の仕事を奪ったとしても、「人的リソースがその分浮くので、他の今まで十分にできていなかった仕事に従事してもらえばいい」と書きました。
これに関して、問題に気づきました。「あぁ、雇用を生むってそんな簡単じゃないかもな」と。
雇用を生むにはどうしたらいいのか、という問いは、けっこう難しい問題かもしれません。
すでに成熟している大企業が、新たな事業とか工場とか作って、そこで雇用が生まれるみたいな流れ。
ここでのポイントは、「資金調達」と、「事業立ち上げのノウハウ」でしょうか。当たり障りの無い日記としては、こう書いておきましょう。
最近流行っているクラウドファンディングみたいなやつは、けっこう先進的で、いいなぁと思います。
そんなに組織力のない個人(集団)が、資金を集められる手法。
やっぱり雇用を生む一番のポイントは、「金の流れを生む」ことでしょうね。
で、投資家の前提として、「投資するならば、そのリターンが無いと意味が無い」みたいな考えがあると思います。
これは、実は当たり前のようで、当たり前ではないことです。
この前提条件を形作っている「資本主義」の成り立ちの背景には、「資本家と労働者の利害対立を解消して」、「労働者が貧困から脱出するための道筋を作る」というニーズがあります。
だからこそ、「資本主義」においては、資本家がもっと儲かることを肯定しているし、金が金を呼ぶ仕組みになっているのです。
「その好条件を資本家に飲ませる代わりに、労働者も努力したら貧困から脱出できる権利を与えてくださいね」というのが資本主義の趣旨です。
で、現代においては、金持ちと貧困層の格差が拡がり、社会の分断が起こっています。
それを見て、資本主義の限界が訪れているとか、システム疲労だとか、という見方があります。
当初の目的、資本家による貧困層への一方的な搾取、というのは、先進国においては、けっこう解消されているんじゃないかと思います。実際に海外研修したわけではないので、実際にはわかりませんが。
つまり、資本主義はもうすでに目的達成している、というのが私の見方です。
終わってるのだから、ちょっと振り返って、初心に戻るというか、「そもそも基本って何だっけ」という思い出しのアクションがあった方がいいなと思います。
私の意見では、「資本家、つまり金持ちは、投資によって資産を増やさなくてもいい」という考えがあります。
基本的には、そうであろうと思います。実際にそうなっていないのは、応用的に、金持ちと貧乏人の格差が拡がった方が好ましいから、でしょう。
過去においては、そうだったのでしょう。しかし、「今なら」、どうでしょうか?と問いかけてみます。
投資しても資産が増えない、リターンがない、というのはつまり極端に言えば「バラマキ」ということです。
投資家が貧困層に金を配らない理由は、「彼らは金を与えても、浪費するだけで、価値を生まないから」だからだと思います。
確かに、それをやったら、金を捨てるようなもので、継続したら社会経済が不全に成る可能性は大いにありますね。
では、「貧困層が価値を生む見込みがある」という条件下ではどうでしょうか。それならば、金をばらまいても良い感じがします。
又、「すでに価値を生んでいるのに関わらず、相応の報酬をもらっていない貧困層もいる」という現実に対してはどのように対応するでしょうか。
価値を生んでいるのならば、その分の報酬を与えるのが筋です。それが現状でできていないのならば、報酬を与えた方がいいでしょう。
それによって、資産家の身銭は減るかもしれない(リターンはないかもしれない)ですが、社会経済の健全化という点で、十分、金を払うに値する効果が得られると思います。
そもそも「金を投資したのならば、リターンを『金で』受け取らなければいけない」という縛り自体に、何ら意味はありません。金コレクターは、例外かもしれませんが。
リターンが「社会経済の安定化」ならいいじゃないでしょうか。ミクロな効果として、例えば「犬猫ペットの処遇改善」とか「アウトローならず者の社会参画」とか、資産家が生きている環境を良くするリターンはどのような形も取ることができます。
それで、雇用が生まれ、社会システムが安定し、資産家のお金が無くなりそうになったら、またビジネスを始めてお金を増やせばいいと思います。
お金を増やし続けることしかしない、とか、お金をひたすらばら撒く、とか、同じ事を極端にやり続ける、というのではなく、
「お金がたまってるなら、それを使って雇用を生もう、お金が減ってきたら、稼ごう」みたいな「ちょうどいい」感じを目指すべきじゃないでしょうか。
「いや、それはわかってるけど、そうしないんだ」という資産家の方がもしいるとするならば、私は「そうですか、わかりました。その判断を尊重します」と答えます。
世の中、単純じゃないかもしれませんね。