よく経済で、ミクロ経済とマクロ経済という分け方をしますが・・・
事実はひとつであって、
実際に「ミクロ経済」と「マクロ経済」という区分があるわけではありません。
哲学的には、そういう解釈になります。
例えばミクロでは「水分子がうようよしている」ことを
マクロ的視点では「川が流れてるね」という認知をします。
「水分子」というのも、人のさじ加減ひとつの見方でしかないですが、とりあえず「分子」レベルが最小単位ということにしておくとして。
官僚出身の経済学者の高橋洋一さんが、
「マクロ経済的には、円安現象はGDP増と正の相関があるため、目下の円安は好ましい」という主張をされているのをヤフーニュース記事で見ました。
これは
「川の水が透明で、水量も十分に『見えるから』」「農作物は良く育つだろう」
というような言説と同じ事です。
つまり、マクロ的視点を採用するということは
「ミクロのことは見ないよ!」「そんなの知らないよ」「オレの仕事の領分じゃないよ」「とにかく川が正常に流れていればいいんだよ」
という、「見ている人の認知能力限界」を起因としての、責任回避です。
本来ならば、「ミクロの積み上げとしてマクロを解釈できないと」ぬるいです。
水分子のうようよの仕方とか、見えない不純物の混合度合いとか、それらをすべて把握した上で、「あぁ、こういう川の流れなんだね」と解釈するのが正しいということです。
そもそも、ミクロ/マクロの区分は、
「ミクロが見えない(あるいは見ることによって問題を発見したくない)から」
「ミクロの積み上げ演算が能力的にできないから」
そういう見方、区切りを「恣意的に」設けている、というだけのことです。
なので、高橋さんの本当の主張というのは、
円安で、輸入の多い中小企業や、消費者が困窮しても、「知ったこっちゃねぇ」
「バタバタ倒れる弱者を慮ってたら、国の基礎土台が崩れてクリティカルだからできない」
という保守的な立場を表明するものだと思います。
保守的か・・・まぁそれは良いと思いますが。
ミクロが「見えていない、見ていない、見たくない」ことを堂々と正当化されているのが、なんか「古くさいな」と思いました。
もうちょっと、「質の良い建前」をアウトプットした方が良いと思います。
「できれば」の話なので、できないなら今のままで良いと思いますが。
日本がデフレで長年苦しんだから、なんかやって、世界情勢(戦争とか)もあって、「質の悪い円安」を招いている、
というのが目下の状況だと思うので、
「質の悪い円安でも、円安なんだからいいんだよ!」
「川の水に、無色透明な毒性物質が混ざってたって、川はちゃんと流れてるんだから正常なんだよ!」
とかゆうのは、
「?」
ですね。
とかゆってみて、これは「批判」なのですが、
ただのノイズとなるのか、あるいは、建前のアップデートの契機となるのか、
はてさて、どうなることやら。
ということを、高橋さんが見ているのかどうかもわからない日記に書いている、
これも「?」かもしれません。
私の意見としては、「悪い円安に対しては、きっちり対応すべき」だと思いますね。
為替介入とか、やってよかったと思います。
はなから逃げて目を背けるよりも、やって失敗する方が、大分マシだと思います。
そうは思わないでしょうか?
この根拠も、私の経験則です。
そういう見方もあるということです。
おわり