【近況6/10】ミクロとマクロ

よく経済で、ミクロ経済とマクロ経済という分け方をしますが・・・

 

事実はひとつであって、

 

実際に「ミクロ経済」と「マクロ経済」という区分があるわけではありません。

 

哲学的には、そういう解釈になります。

 

例えばミクロでは「水分子がうようよしている」ことを

 

マクロ的視点では「川が流れてるね」という認知をします。

 

「水分子」というのも、人のさじ加減ひとつの見方でしかないですが、とりあえず「分子」レベルが最小単位ということにしておくとして。

 

官僚出身の経済学者の高橋洋一さんが、

 

「マクロ経済的には、円安現象はGDP増と正の相関があるため、目下の円安は好ましい」という主張をされているのをヤフーニュース記事で見ました。

 

これは

 

「川の水が透明で、水量も十分に『見えるから』」「農作物は良く育つだろう」

 

というような言説と同じ事です。

 

つまり、マクロ的視点を採用するということは

 

「ミクロのことは見ないよ!」「そんなの知らないよ」「オレの仕事の領分じゃないよ」「とにかく川が正常に流れていればいいんだよ」

 

という、「見ている人の認知能力限界」を起因としての、責任回避です。

 

本来ならば、「ミクロの積み上げとしてマクロを解釈できないと」ぬるいです。

 

水分子のうようよの仕方とか、見えない不純物の混合度合いとか、それらをすべて把握した上で、「あぁ、こういう川の流れなんだね」と解釈するのが正しいということです。

 

そもそも、ミクロ/マクロの区分は、

 

「ミクロが見えない(あるいは見ることによって問題を発見したくない)から」

「ミクロの積み上げ演算が能力的にできないから」

 

そういう見方、区切りを「恣意的に」設けている、というだけのことです。

 

なので、高橋さんの本当の主張というのは、

 

円安で、輸入の多い中小企業や、消費者が困窮しても、「知ったこっちゃねぇ」

 

「バタバタ倒れる弱者を慮ってたら、国の基礎土台が崩れてクリティカルだからできない」

 

という保守的な立場を表明するものだと思います。

 

保守的か・・・まぁそれは良いと思いますが。

 

ミクロが「見えていない、見ていない、見たくない」ことを堂々と正当化されているのが、なんか「古くさいな」と思いました。

 

もうちょっと、「質の良い建前」をアウトプットした方が良いと思います。

 

「できれば」の話なので、できないなら今のままで良いと思いますが。

 

日本がデフレで長年苦しんだから、なんかやって、世界情勢(戦争とか)もあって、「質の悪い円安」を招いている、

 

というのが目下の状況だと思うので、

 

「質の悪い円安でも、円安なんだからいいんだよ!」

 

「川の水に、無色透明な毒性物質が混ざってたって、川はちゃんと流れてるんだから正常なんだよ!」

 

とかゆうのは、

 

「?」

 

ですね。

 

とかゆってみて、これは「批判」なのですが、

 

ただのノイズとなるのか、あるいは、建前のアップデートの契機となるのか、

 

はてさて、どうなることやら。

 

ということを、高橋さんが見ているのかどうかもわからない日記に書いている、

 

これも「?」かもしれません。

 

私の意見としては、「悪い円安に対しては、きっちり対応すべき」だと思いますね。

 

為替介入とか、やってよかったと思います。

 

はなから逃げて目を背けるよりも、やって失敗する方が、大分マシだと思います。

 

そうは思わないでしょうか?

 

この根拠も、私の経験則です。

 

そういう見方もあるということです。

 

おわり