「失われた30年」という言葉は、ネットとかで仕入れた言葉ですが、
具体的には、「デフレで落ち込んだ経済を、立て直せなかった30年間」という意味で合ってるんでしょうか。
私の感想では、「30年の間、間違ったことやった」というよりも、
そもそも太平洋戦争後の、初手から狂っていたと思います。
そしてその誤りは、そもそも日本みたいな小さな島国が帝国主義に傾いていったからであって、
その起原は、明治維新だろうし、
明治維新を誘発したのは、300年の江戸時代(by徳川)と外圧だし、
300年の江戸時代は、背景に苛烈な戦国時代があるし。
このように思うと、やっぱり「なるようにしかならないな」という評価が妥当なんじゃないかと思います。
もちろん、時代時代で、がんばった人は市井にも、権力に近い所にも、いたのでしょうけど、
その場その場の、場当たり的な・対症療法的な対応によって、大きな流れはできているな、と思うし、それが妥当では無いとはあまり思いません。
ただ、誤りは常にある、そういう世界だった、とは思います。
現時点では、「誤りを比較的小さくしていこう」という流れだと思います。
「比較的小さく」なので、誤ってるのは確かですが、その程度が軽くなる。
バブル期のように
「潜在的な誤りがあるのにも関わらず、それを認知せずに」
「自分たちの欲望を満たすことは正当なものだと本気で勘違いして」
「一方向に過剰な動きをして」
「誤りをスケールアップさせ」
「報いを受けて自滅する」
という類いの誤りは、避ける方向に行くと思います。
ただ、基本的に「誤っている」のは確かだし、私も「誤り」をゼロにするだけの能力はないです。人間だもの。
なので、結論としては、
「目下の問題に、がんばって当たって、誤りを少なくするように努力する」
でいいと思うんですよね。
で、経済とかは、制御するの難しいですから、
今の経済状況で、即、「自民党は失格」と烙印を押すのは、ちょっと違うんじゃないかと思います。
なんというか、「自民党」というのも、日本の歴史の軌道上に、必然性を持って存在しているので、
それをまるっと否定するのは、「歴史背景の軽視・無視」のような感じがして、あんまり好きじゃ無いです。
例えば「太平洋戦争の開戦」については、
私は個人的には「負けるとわかっている戦争にGOするのは無謀すぎる」と思いますが、これは「一般論」であって、
実際の背景には、
「日本の貧困」や
「外国からの圧力」や
「その圧力をはね除ける夢(アジアの盟主になる)」や
「輸入資源止めの兵糧攻め」とか
色々あって、結局、開戦に流れているので、
軽々に、評価はできないんですよね。
だから、「経済不況は自民党のせいだ」「だって自民党がずっと長く政権を持ってたのだからその責任を追及するのが妥当だ」
という発想があるのは当たり前なんですけど、
私は「いや、自民党否定は、日本の歴史否定と同じ事だぞ」というブレーキを踏みます。
私は、自民党は歴史の産物だと思っているので、
その流れを否定するのではなくて、流れを横からチョイチョイと押して、軌道修正を図る方が、スムーズで効率的だと思います。
自民党というよりも、歴史を否定して、上手くいくとは思えないんですよね。
蓮舫さんがイメージ取りで言ってた「リセット」みたいな。ゲームじゃないんだから。
太平洋戦争終結さえも、「リセット」ではなく、まだ戦争の余波は絶賛進行中だと思っています。
結論としては、問題を外部に求めるのではなくて、
自分という存在は歴史の流れの中で生まれたことを自覚して、
その流れを汲んで、「さあ、自分はどう生きるか」と考えて、「未来に渡って残るような存在になる」ことに集中するのが良いと思います。
誤りは、控えめに、でも誤っちゃう。
でも、いつまでも残る。
そういうものを見つけて、大事に抱いていく。
そんな感じの世界観を持っています。
他人が過剰に誤って消えていっても、自分が残るようにすれば、
そういう人が多ければ、
また歴史が紡がれていくんだなぁと思います。
おわり