ツイッター(X)をPCで眺めていたら、「トレンド」という項目があって、そのランキングのトップが「無駄死に」でした。
ポチッと押してみると、どうやら一部の人達が「太平洋戦争の特攻・自爆攻撃で命を落とした日本兵」が「無駄死に」だったとツイートしたらしく、
それに対する反対意見のツイートがたくさん並んでいました。
無駄死にってけっこうネガティブな悪口みたいですけど、「価値のある死」もなかなか怖い言葉だよなぁと思いました。
太平洋戦争って、政治の中枢にいた人も「負けが濃厚で、開戦すべきではない」と思っていた人がいたのにも関わらず、結局、GOされているので
きな臭い戦争なんですよね。
海軍の山本五十六さんとか、ギャンブルを知っているので、「勝ち負け関係なしに」「勝負に臨む」という行動原理の意味を理解していたのだろうと思います。
彼も、「米と開戦となれば半年、1年は暴れることはできるが、2,3年後は自信がない」みたいなことを言っていて、最初から負けがほぼ確定している戦争だったのだと思います。
で、終戦間際の特攻が「無駄死に」だったかどうか?についてですが、
そもそも、それを評価している主体は「誰なの?」という疑問を持ちます。
終戦後40年ぐらい経って生まれた私としては、「無駄かどうかはどうでもいいけど、とにかく自爆攻撃で、大した戦果にもならず、散っていった兵士がいたんだなぁ」と思うだけです。
もし、日本が戦争に勝っていたとしたら、「特攻が勝利に貢献した」とかいう評価もありえますが、現実は負けてますからね。
負けてるのに、もし勝っていたらの仮定をするのも変な話です。
とにかく、「特攻兵は無念だったろうなぁ、怖かっただろうなぁ」と思います。
あ、わかった。
もう戦争に勝ち目無し状況で、「特攻を命じた軍司令部の判断の是非」問題かもしれませんね。
これについて言うと、「負けを確信したなら、諦めも肝心」とは思いますが、
結果としては、特攻は「実行されたので」、それなりに何らかの意味はあると思いますよ。
その意味が嬉しいものであっても、不快なものであっても、今を生きている人としては、それを受け取って歩んでいけばいいんじゃないでしょうかね。
「特攻が無駄死にだった」とはつまり「戦争で、偉い人の都合で殺されるのはバカバカしい」という主張なんでしょう。
そう言えば、論争にはならずに「わかりました、あなたはそうなんですね」で済むと思うのですが
婉曲表現をして「特攻は無駄死にだった」とか言うから、言い合いになっちゃってるんですね。
こういう言葉尻で、宙に浮いた言語表現にフォーカスして、あれこれ言い合うのではなく、自分自身の気持ちを正確に表現した方が、みんなわかりやすく相互理解できると思います。
自分自身の気持ちを正確に表現するってのも、なかなか難しいですけどね。