じっくりコトコト

最近は、日記をほとんど書いてなかったですが、特に書きたいことがありませんでした。

 

麻雀も、ここんとこは、2半荘とか、まったくやらないか、が続いています。

 

やるべきことは、数字パズルに強くなることなので、今の状態でダラダラ打っても、同じ間違いを繰り返すだけのマシーンになるのは明白なので、打っていません。

 

例えば他家が「2」を切ったとして、どういう形からの切り出しかが重要になります、

 

「浮き牌の2」か「223」とか「245」とかあると思いますが、

 

結局、数字パズルの形のパターンにはかなりの限りがあるので、

 

私が未来予測するときにもよく使う「可能性全列挙」した上で、最もありそうな可能性を推理して絞り込んでいく、というアクションで、情報戦において有利に立つ、という志向があり得ます。

 

でも、私はそれ(数字の組み合わせを考えること)が苦手なので、とりあえずサボっています。

 

ゆっくり牛歩で、のんびりいこうと思っています。

 

気が向いたら、上記のことに真剣に取り組んでみて、工夫するつもりです。

 

最近よくやっているのはトラック運転ゲームで、

 

トレーラーが3つ繋がった長いトラックを運転しています。

 

最初は、「こんな長いの無理だわ」と思って、比較的短くて軽いトレーラーでスピードをビュンビュン飛ばしていたのですが、

 

めっちゃ長いトレーラーでも、想像を膨らまして、ドライバーの一人称視点では見えない背後のトレーラーの位置状況を把握するによって、

 

16メートルくらいある3連トレーラーでのカービングをある程度コントロールできるようになりました。

 

イメージ通りに、車線ラインの枠内にトレーラーが納まってカーブを曲がれたときは、楽しいです。

 

なんだって、やればできるんだな、と思いました。

 

問題は、「やりたくない」「やろうと思ってない」→「だからできない」ということなんだと思います。

 

しかし、そもそも根本的に、「本人がやりたくないことは、できなくても問題ないんじゃないか?」という疑問もあります。

 

「別にやりたくない」

→「やらなきゃいけないような外圧を感じる」

→「嫌々努力してみる」

→「上手くいかず、挫折する」

→「劣等感や自己否定感にさいなまれる」

 

みたいなことは、よくあることだと思いますが、これってけっこう「自爆的」ですよね。この自爆は、必要あるかって言うと、別にする必要はないと思います。

 

「別にやりたくない」

→「やらない」

→「できていない状態が長く続く」

→「それを大事に思ってる他の人(マジョリティ)たちから嫌われる」

→「政治的な不利益を被る」

 

これも、私にとってはすごくあるあるですけど、自爆よりかはマシかなって思います。

 

あらゆる人が、ある側面において少数派だと思いますが、

 

多数派が少数派をボコるのは世の常なので、「まぁ政治的にボコられてやりましょうか」、くらいのパンチドランカー的に生きるのもいいかなと思います。

 

ただ、「別にやりたくない」ことの中にも、「試しにやってみてもいいかな」みたいな、食わずきらいなものも多く含まれていると思うので、

 

自分にとってまったくのノーマーク・新ジャンルであっても、色々、試しにやってみると、予想してなかったやりがいとか楽しさを見いだせたりするかもしれませんね。

 

・好きなことは、「ずっと続けて、常に工夫してやってみる」

・興味の無いことでも、とりあえず試しにやってみる(どんなものか確かめてみる)

 

この2つを習慣にすると、いいかもしれません。

 

あとはー、自民党の裏金問題とかは、

 

結局、安部派幹部とかも逮捕まで至らなかったようで、インパクトの大きいショックに至りませんでしたね。

 

次の衆議院選挙では、自民党議席を減らすかもしれませんが、おそらく多くて「20議席」減るくらいの規模かなと予想します。

 

とりあえず、私は過去の自民党政治は問題なかったと思っているので、

 

「過去は過去として正しかった。今はどうだ?」と「今」を見つめ続けて、最善を積み重ねていって頂けたらうれしいです。

 

近年は、変化が激しいので、

 

私は川の中の長い藻のように、水の流れに晒されて「うわ~」と翻弄されて、たなびいていようと思います。。

 

ひととおりの水の流れ(変化)が落ち着いて、やるべきことが明確になってきたら、

 

「よっしゃ始めるか」と、腰を据えて勝負を始めるつもりです。

 

その機会が与えられるかどうかはわかりませんが、その体勢で活路を得ようという予定です。