A diary 9/7

金融本を読んで、裁定者(スペキュレーター)の位置づけがわかってきました。

 

著者の藤巻さん曰く、「裁定者がいなければマーケットが成立しない」ということで、確かにそういう側面はあるなと思いました。

 

裁定者は、時には価格の均一化に貢献し、またある時には、誤った多数派の逆張りをして市場の効率化を高めたりしています。

 

例えるならば、インターネットインフラのようなもので、ユーザーが通信費として通信事業者を儲けさせる代わりに、速くて快適なインターネット環境を得ている。

 

裁定者が大もうけするのも、効率の良い市場(資本主義システム)を立てて維持するためのコストに相当します。

 

経済的に不合理な行動をする者は是正され、合理的に振る舞うほど金儲けができる市場において、経済成長をストレスや弊害なくスムーズに達成できるのでしょう。

 

インターネットと同じですが、人との対面会話だけで満足する人や、自分の管理する畑の状況さえわかれば事足りるような農民とかにとっては、「インターネット」も「効率の良い市場」も必要なく、裁定者に儲けさせる意味がありません。

 

つまり、それだけ高性能の市場を用意するのであれば、それを使いこなす、利用するだけの能力や行動が人間側に求められてくるということです。

 

例えば地球人が全員アメリカ人ならば、市場を活用して価値を作れるかもしれませんが、実際にはアメリカ人のようにイノベーションとか興味ある人は地球では少数派でしょう。

 

先物取引とか、金を吸い込む経済装置みたいなもので、船のエンジンみたいなものですね。

 

債権先物は、私から見るとただの博打にしか見えないです。

「資産移動をカウントしないのでバランスシートの規模を大きくしないことができる」「レバレッジを効かせて資本利益率を高められる」

という利点とかはあるんでしょうけど、やってることは未来の金利予想と博打ですよね。

 

こういう仕組みがあると、「強欲で不合理なプレイヤー」から金を搾り取ったり、欲望に沿った行動をけん制できます。それはそれで、政治的にパワーのあるシステムであることは認めます。

 

ただ、私の個人的な意見としては、「強欲で不合理なプレイヤー」に対して、そこまで大がかりに対応する必要あるのかって思います。

 

強欲なら、金儲けさせればいいし、それがコミュニティにとって悪影響が出たなら、そのとき初めて対話・交渉するなり、規制するなり、すれば事足りるでしょう。

 

「是が非でも、経済成長させたい、テクノロジーを発展させたい」みたいな意気込みを、裁定者込みの経済システム(複雑に発達したシステム)から感じます。

 

私が懸念しているのは、例えば「でっかいスポーツジムを作った」「後に」、「永遠にこのジム利用して筋トレ・マラソンしなきゃいけないの?」ということです。

 

筋トレ・マラソンしてムキムキになるのはやりたい人はやればいいけど、逆に言えばやりたい人しかやらないので、そんなに大きな箱物はいらないでしょう。

 

広げた風呂敷、建てた箱物、これを社会にとって適正な規模に制御することを、考えた方がいいと思います。