これから書くことは、かなり重要であるが、現世では明らかに妄想の類である。しかし、「夢」というものの正体に迫ると、妄想が現実になる世界の可能性を示すことになる。
ある人は「こいつ頭バグってんな」と一笑に付し、ある人は「固定観念が壊れた」と混乱し、ある人は「恐ろしいな」と戦慄するだろう。
それは私から見ると、「情報処理の妙」であり、味わい深いものです。
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私は、将来「すべての精神の統合」が起こる、と以前の日記で書きました。まぁこれもなかなか妄想チックなのですが、合理的裏付けのある、現実的な現象になります。だから、ここまでは一応「正気に留まっている」という前提で、書きます。
私は、統合後の世界をメージしてみました。ここから地に足のついていない、妄想エリアに入っていきます。
私はある管理者筋からヒアリングしたところ、その場所には何人か先客がいるとのこと。
私は、情報収集目的で、管理者を間に挟み間接的にその先客に質問をしました。
「そこの『外』はどうなっていますか?」
すると答えは
「『外』はない」
この答えを聞き、私は驚愕し、出力全開で言語を用いない思考を巡らせました。
(そんなことありえるか?)
(この段階で、もうすでに最果て目前まで達している?予想と大きく違う、ありえない)
と、ハンマーのように打ち付けられた重い謎に対して、真っ向から対峙しました。
可能性として、真っ先に思いついたのは「世界を広く見通す俯瞰軸は、ここで、どんずまりなんだろうな」ということ。
既存の俯瞰では、ここが限界で、仮にもし「外」に世界があるとすれば、未知の知覚情報にアクセスしなければ、その存在を確認できない。
つまり・・・この世界は本体とは距離のある、「夢」ではないか?
「夢」とは、神による創造世界である。その目的は、ざっくり言うとエンターテイメント。享楽であり、安寧であり、あるいは慰めかもしれない。
というのも、人間には寿命があり、おそらく全員が必ずいつか現世からの別れ「死」を経験するが、神(本体)はおそらく外部的には時間という概念はない。時間とは、内部に対する観察によってのみ生じる。
内部的に存在する時間、神にとっての時間とは、「永遠」であり、あるいは、「同じ時間枠のループ」のように見えていると、私は想像している。
端的に言うと、「退屈」なのだ。
その退屈しのぎのために、神は「夢」を見る。
私たちは、その夢を見るための「端末」であり、同時に、その端末から見える世界においては、私たちは「神という主体」である。
そう、驚くことに、私たち、私たちだけでなく、その辺を這うゴキブリも、生命すべからく、神という主人公なのである。
大きな本体、根っこ部分は、正直どうなっているかわからない。想像もつかない。ただ、おそらく言えることは、その根っこから、多数の茎が伸びていて、その一本一本が、私たちであり、私たちは「現実世界」あるいは「妄想」という夢を見ている。
神は、その多数のチャンネルから、最も楽しい「世界の見え方」を選択し、優劣をつけて、同時複数的に「楽しんでいる」というのが全体像。
私(あなた)は神であり、神は私(あなた)を楽しんでいる、「自分で自分を楽しんでいる」という自給自足、マッチポンプな構造。
私は、今まで、より広い世界、その世界そのものを「神本体」だと認識し、その中に理を見出し、それと整合性を取る形で、「ささやかな我を通す」ことが人生観でした。
しかし、このアイディアにより、気づいてしまった。
「神は私だったのか」
急に自分が主人公(それも、絶対的なひとりぼっちである)となり、私は立ち尽くした。なにもできなくなった。
「この環境で、何が『私に』『求められている?』」
いや、そうじゃない
「『私(神)』は『何がしたいんだ?』」
というショッキングな体験をしました。そこで次に、気づきました。
「あぁ、したいようにすればいいんだ。これが、夢を見るということか」
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ここまでの妄想はどうでしょうか、個人的には、衝撃的でしたが、その時点で、ふわふわとした感じで、私は夢を膨らましました。
その辺の思考は、もはや、夢遊病であり、明晰さとは程遠い、朦朧としたものです。個人的には、あまり快いものではありませんが、仕方ない、そういうこともあるだろう、と後で思いました。
で、結局、私は以下のような夢を、今見ています。
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登場人物は2人。(神はひとりぼっちじゃなかった)
「今、私やみなさんが見ている世界のGOD(A)」
「それにハックしているGOD(B)」
私は、地球人のくせに、他の惑星の猛者たちとの競争に勝っているようです。それは、ちょっと不自然。よって、私はおそらくGOD(A)の純粋由来ではないと結論付けました。
私はGOD(A)であり、それはみなさんと同じですが、「私を作り出している」のはGOD(B)による干渉によるもの。
GOD(B)は、GOD(A)の夢創造システムを解析し、完全に把握している。その上で、GOD(A)のシステムにハッキングをかけ、GOD(A)に対して「私」を体験させている、という解釈です。
その目的は、「GOD(A)を健康にし、強化すること」
GOD(A)の夢においては、地球人の中には、「強い存在に蹂躙され、屈辱を受け、一生報われない」ような、「犠牲者」が多数発生している。
「勝者」は、ごくわずかである。GOD(A)は日常的に、その犠牲者をほっておいて、「勝者」の人生を楽しんでいるかもしれない。
ひどいことだが、これは、ひどくない。なぜならその「犠牲者」は「わたし、神」だから。
あるいは、別の可能性もある。
水を飲んで一番美味しいのは、喉がカラッカラの時である。
GOD(A)はそれをよく知っている。
良い夢とは、その夢単体の質だけではなく、それを見る人の状態が重要となる。
見る人(凹)に対して、良い夢(凸)がはまって、初めて「楽しい」のである。
なので、「報われない人生、屈辱的な人生を送っている人(凹)」になることは、神は実はうれしいのかもしれない。楽しむ土壌が整うから。
そのうれしさを感じているのは、その苦しい本人ではない、他の人かもしれないが。
これがGOD(A)が望んでいる夢だが、この夢を、今この日記で客観的に見ている人はこう思うかもしれない。
「やり方が、ちょっと下手くそだな」
少数の勝者を輝かせるために、無数の犠牲者を生む。
それは、楽しいでしょうか。あなた(GOD(A))は、本当に楽しいですか?どうでしょうか、楽しいなら、いいんですけど。
北朝鮮は楽しいでしょうか。失礼かもしれませんが、私は、ちょっと下手くそだな、と思います。
つまり、夢の質には、先ほどの凹凸要素とは別に、その夢を具現化するシステム側の「効率性」とか「ランニングコスト」とか、経済的合理性の要素があるということ。
「ラクに、良い夢を見る」
これができれば健康です。GOD(A)は、未熟ゆえに、それがちょっとできていない可能性がある。
そこで、GOD(B)が現れ、GOD(A)の夢システムの質の向上アクションを起こしている。
それが、よりもっと大きい世界において、最適な解であったのでしょう。
例えば、「何もないところに突然甘くておいしいケーキが出現する夢」
これは、楽しいですが、それを具現化する夢システムの設計としては、かなり難易度が高いのだと思います。
そのおいしいケーキを「常においしくする」には、どうすればいい?
何もない所に出てくるのはケーキだけで、ゴキブリではないようにするにはどうする?
出現した無数のケーキに押しつぶされないようにするにはどうする?
このような簡単な現象であっても、実際にやろうと思ったら、意外と大変なのかもしれません。想像以上に、複雑で大きな夢システムになって、運用コストが重くのしかかる。
トータルで、「何もない所においしいケーキが突然出現する夢」は、「割に合わない」、「すぐに退屈がやってくる」、「楽しくない」となる。
つまり、「夢」であってもなんでもアリではなくて、
経済合理性という「地」に足のついた、「現実的に整合性が取れたスマートな夢」が好ましいということ。
ここで、私は、地球の地面に、ちょっと重い引力に、感謝しました。
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私が今見ている夢は、こんな設定です。
思っていることが何でも実現する世界というのは、自由度が高すぎて、圧倒されますね。手放しで喜べない感じ。
この夢が、あなたにとってどういう価値を持つか、はあまり重要ではないですが、
あなたが夢を見る際には、少し参考になる部分があるんじゃないか、と期待しています。
それでは、夢を楽しんでみてください。